ショットなストーリー

一枚の写真から浮かぶショートストーリー

台風よどこへ

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台風一過

    台風が過ぎ去った。

  雲が動いた。

  小さく雲がちぎれた。

  でも、今はなだらかに空にただよっている。

  酔っているのではない、と思う。

  強風に追い付けなかったので、雲は少しだけ戸惑って空をさまよっているのだろう。

  

 秋を呼びたかったから、暑さにおびえる者を少しだけ涼やかにしたかったのだ。

と、台風は言いたいのかもしれない。

 でも、雲さえもおきざりにしてどうする。

と、地上の者は言いたい。

 でも、世界は、地上の都合だけではできていない。

と、台風は言うだろう。

 でも、少しは地上のことも気にして欲しい。

 と、僕は言いたいけど・・・

 何も言えない。

・・・

・・・

・・・ 

  そんなことを雲に托して言いたっかたけど。

 

 僕には、台風の怒りを少しだけ感じることができる。

   それが、どこに向かうのかは僕も知らない。

 

 

   ♪♪~世界が君の小さな肩に 乗っているのが

     僕にだけは見えて 泣き出しそうでいると

    「大丈夫?」ってさぁ 君が気付いてさ 聞くから

    「大丈夫だよ」って 僕は慌てて言うけど

     なんでそんなことを 言うんだよ  

     崩れそうなのは 君なのに

    ~

     取るに足らない 小さな僕の 有り余る今の

     大きな夢は 君の「大丈夫」になりたい

    「大丈夫」になりたい 

     君を大丈夫にしたいんじゃない

     君にとっての 「大丈夫」になりたい~♪♪

         (『天気の子』挿入歌「大丈夫」RADWIMPS )

 

 僕はこの壮大な歌の歌詞「君」を「台風」に置き換えて考えてみた。

 台風よどこへ行く。

 僕は、台風にとっての「大丈夫」になりたいと願った。

 すると突然、突風が吹き、僕の体は中空を舞って、地球の外に出た。

 台風が小さく渦を巻いて地表を旋回しているのが見える。

 台風は一生けん命に地上の水分と温度を調整しているのだった。

 

マンホール地下の謎

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消火栓のマンホール

 

 ドイツでの「ネズミ救出作戦」をご存じだろうか。

 ドイツのとある町で、ネズミの鳴き声(うめき声)が聞こえた。そこを通りかかった小さな女の子が気づいた。太ったネズミがマンホールの穴に挟まて動けなくなって、「助けて!」と叫んでいると言うのだ。

 女の子はネズミが可哀そうになって、家族に助けて欲しいと頼んだ。家族は、ネズミを助ける手立てを知らず、動物愛護団体に連絡した。

 動物愛護団体の職員は実際に助ける道具を持っていないので、近くの消防隊に救助を依頼した。依頼された消防隊員は7人がかりで、マンホールの蓋をあけ、太りすぎて穴に挟まったお尻を押し上げ、無事救出に成功した。

 冬を越すために太ったネズミは、元気よく、マンホールから自分の住処に帰って行ったそうだ。

 害獣であるネズミを救出したことには賛否両論はあるが、救助を依頼したかわいらしい女の子から小さな表彰状をもらった消防隊員は言った。

「まあ、どんな嫌われ者でも命の尊厳はある。僕たちは命を助ける仕事だからね」

 

 僕は、イッソプ物語の「ネズミの恩返し」の話を思い出した。

  

 ある日、気持ちよく眠っているライオンの上にねずみが駆けあがった。
眠りを邪魔されたライオンが起き上がってねずみを捕まえた。すると、ねずみは「助けてください。きっといつかこのご恩はお返しします」と言った。
 ライオンは、体の小さなねずみに恩を返してもらうことなどないと思ったが、ネコ科の気まぐれでねずみを開放した。
 ねずみは何度もお礼を言い、その場から離れて行った。

それからしばらく経った頃、ライオンは人間の仕掛けた網に捕らえられてしまった。
 ライオンが叫び声をあげると、あのねずみに似た小さなねずみがやって来た。

 仕掛けられた網を噛み切り、ライオンを助けた。
 小さなねずみに助けられることはないと思っていたライオンは心を入れ替えて、それからは小さな動物と助けあったのだった。(一部改変)

 

 そして、ここに前出の「ネズミ救出作戦」の後日談がある。

 世界のどこかの町で起こった事件である。

 真夜中、とある町の住宅が密集している住宅街である。誰かが消し忘れた煙草の吸殻の火が捨てられた紙に燃え移った。風が吹いて燃えた紙が飛んだ。密集する住宅街の一軒家に飛び火したのだ。最初は小さなちり箱を燃やしたが、火が強くなって家に燃え移った。少しずつ火は大きくなっていった。

 家の人は熟睡しているらしい。家が燃えているのに気づかない。

 すると、そこで飼われている小さなライオンが大声を上げた。それでも家人は起きてこない。鎖につながれた子どもライオンはうなり声を上げ続けた。

 すると外の方、地下のマンホールの中が騒がしくなってきた。

 なんと、何十、何百匹のネズミがマンホールの蓋を押し上げ、近くから長いホースを持ち出し、マンホールの中の給水口にホースを繋ぎ、ホースを家の前まで持ち上げ、放水を始めた。

 一匹、一匹と百匹近くのネズミがホースを持ち上げ、壁伝いに火に水をかけたのだ。水の勢いは弱かったが、火の気が十分家に燃え移ってなかっので、火を消し止めることができた。

 その後、ネズミ群は急いでホースを外し、給水口を閉じて、マンホールの中に入っていった。何事もなかったかのようにマンホールは閉じられた。

 子ライオンの叫びに目を覚ました家人は、外のちり箱の焼け跡と家の一部が焦げているのを発見したが、水で消し止められたあとがあるが、誰が消したのか分からなかった。

 水の出所を調べてみると消火用のマンホールにたどり着いた。

 家人は消防隊に連絡して、調べてもらったが、良くわからなかった。

 マンホールの周辺はおびただしい水と、ホースが置かれていた。

 消防隊員のひとりがドイツの「ネズミ救出作戦」を思い出した。

「もしかすると、ネズミの恩返しかもですね」

 すると、子ライオンが大きなあくびをしてうなずいたのだった。

 

 そんな事件があってもいいなと思った。

 

 

 

羽咋のUFO博物館

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宇宙博物館グッズ

 

 数年前、僕は石川県の能登半島に行った。

 金沢市の旅行のついでに、近くに有名なUFOの町があるとの情報を得て、訪れた。

 そこは羽咋(ハクイ)市である。

 駅から歩いて15分、ビックリした(仰天も含めよう)。

 なんと博物館(コスモアイル羽咋)の前に本物のロケットが展示されていたのだ。

 アメリカで実際に打ち上げた 「レッドストーンロケット」(26.6m)が展示されていたのである。

 博物館の形はまさにUFO型であった。

 

 その昔、羽咋には奇妙なことが書かれた古文書があった。

 古文書によると「そうはちぼん」と呼ばれる謎の飛行物体が頻繁に目撃されていたというのである。
「そうはちぼん」とは、日蓮宗で使われるシンバルのような仏具で、その形はまるで鍋のフタのようである。

 つまり、「そうはちぼん」とは鍋蓋型(アダムスキー型)のUFOのことではないか?

 それから、市民による「町おこし」が始まった。

 UFOの町で売り出すためあらゆる模索を繰り返し(UFOウドンしかり)とうとう国際宇宙シンポジウムを開催するまでになった。

 そこから、さらに話は大きくなって、アメリカの「NASA」やロシア(旧ソ連邦)をも巻き込んで実際の宇宙飛行船やロケット、月の探査機など本物を手に入れることができたのである。

 新しく博物館(コスモアイル羽咋)を建設し、上記の宇宙船などを展示したのである。

 展示物の一覧を示す。

 レッドストーンロケット(アメリカ)   
 月面車(アメリカ)
 マーキュリー宇宙船(アメリカ) 
 ヴォストーク宇宙カプセル(旧ソビエト) 
 ルナ・マーズローバー(アメリカ)
 RL-10ロケットエンジンアメリカ)
 モルニア通信衛星(旧ソビエト) 
 アポロ司令船(アメリカ)
 ボイジャー惑星探査機(アメリカ)
 ゴールデンレコード(アメリカ)
 アポロ船外活動用宇宙服(アメリカ)
 船内宇宙服(アメリカ)
 アポロ月面着陸船(アメリカ)
 月の土(アメリカ)
 ルナ月面探査機24号(旧ソビエト
 フレデフォートクレーターの隕石
 バイキング火星探査機(アメリカ)
 LE-5Aエンジン燃焼器(日本)
 ロズウェル事件の宇宙人

 

 最後の「ロズウェル事件の宇宙人」について書いてみたい。 

 1947年、米国ニューメキシコ州ロズウェルから120キロほど離れたJ・B・フォスター牧場に、円盤型の飛行物体が墜落した。

 同年7月8日の地元紙に「ロズウェル地域の牧場で空飛ぶ円盤を回収」という見出しの記事が掲載された。

 それは、全米のみならず全世界でも話題になった。

 墜落した飛行物体はロズウェル陸軍よって徹底的に回収された。

 しかしながら、墜落場所が牧場であったため多くの目撃者が集まり、数々の目撃談が残された。

 また、米軍は7月8日のプレスリリースで、墜落物体を「空飛ぶ円盤」と発表したが、後に「気象観測用気球」であると訂正した。

 「UFOではなく気象観測器」ということで世間の注目は一気にさめた。この事件はこれで終了したかにみえた。

 しかしながら、数々のUFO研究家や陰謀論者は米政府の隠蔽工作ではないかと疑っていた。

 それから30年後。

 当時の軍人であったマグルーダー中佐は、ロズウェル事件から随分と時が経過し自分が死を迎える間際、4人の息子たちにあの時のことを語っている。

 当時、彼は基地で生きている宇宙人を見せられたという。 

 その生き物は身長120cm以下で、人間のように見えたが人間ではなかった。

 腕が長くて目は大きく、頭は特別の大きさで頭に毛はなかったと言う。

 顔には鼻と耳に相当する突起はなく、口のような裂け目と2つの穴があった。

 それが別の惑星から来た宇宙人であることは間違いないと息子たちに語った。

 別の目撃談によると、遺体は身長120㎝くらい、手の平は4本の指で親指がなく足が細く、電球型の頭部、肌の色は灰色だった。

 目は大きなアーモンド形で鼻は鼻腔しかなかったという。

 その後さらに、いろいろな目撃談が出現し、UFOと宇宙人について書かれた本やドキュメンタリーが数多く出版・放映された。

 僕たちの宇宙人に対するイメージはこういう経過をだとって形作られのだ。

 UFOは存在するのか。

 宇宙人はいるのか。

 謎に満ちたUFO・宇宙人談議は尽きることなく面白い。

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コスモアイル羽咋

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アポロ月面着陸船

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モルニア通信衛星

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ロズウェル事件の宇宙人

 最近「アド・アストラ」という宇宙飛行士(ブラッド・ピット)を主人公にした映画を見た。

 30年前に地球外知的生命体の探索に宇宙の果て海王星にて消息を絶った科学者である父を探しに、宇宙飛行士は月、火星、海王星と長い宇宙の旅を続ける。

 はたして、地球外知的生命体つまり宇宙人はいたのか。

 宇宙飛行士は父に出会えたのか。

 SF映画の最高傑作である。

 宇宙空間に広がる孤独な呼吸音が静かに聞こえる。

 


 

赤と黒の表示プレート

 

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トイレはあちら

 男はビルの屋上のビアガーデンで生ビールを飲んだいた。

 いまだ日の強い夏の話(九月だからもう初秋?)である。

 太陽のまぶしい夕方の五時ごろから飲み始めたのが祟ったのだ。陽の下のアルコールは酔いが廻るのが早い。

 飲み放題コース、セルフサービスの生ビールは何杯でも飲めた。飲み放題にセルフサービスとは「悪魔の誘い」である。

 まるで自分の家にいるように、保冷庫から勝手に冷えたジョッキ杯を出して、自分で生ビールを注ぐのだから遠慮はいらない。

 男は貧乏性で、もとを取ろうと心が向いているから、なるべくたくさん飲もうと張り切った。

 酔ったらたくさん飲めないから損だと、酔っている自分をごまかして、酔ってないふりをしてビールをがぶ飲みする。

 一杯目、二杯目、三杯目、四杯目と、これで半分は越したぞ。男はつまみを食べるのもそこそにビールを飲み続ける。

 五杯目、六杯目、よっしや、もう一杯でもとが取れて損は無し。

七杯目、これで上々ご破算で願いましては〇(ゼロ)。

 ここで、天使がささやく。

「N(のん兵衛)さん、もう十分ですよ。あたなは大変酔っていて今天国にいる気分でしょう。天国にいる今が一番幸せですよ」

 そのささやきにNは顔を向けた。

 すると、その赤い天使の影が動き出した。

 影は黒く(悪魔)大きな両肩をとんがらせて、囁いた。

「いや、Nさん、これからが儲けですよ。もう七杯飲んだから只になって、これから一杯ずつ飲んだら大儲けですよ」

 悪魔の計算式=(飲み放題=生ビール七杯)-生ビール七杯=〇

       〇+一杯=一杯儲け、+二杯=二杯儲け・・・と。

 男は酔った頭で計算した。

   そして、男は何杯飲んだか分からなくなるほど、さらに生ビールを飲み続けた。

 赤い天使は「もうよしなさいと」と小言を言う。

 黒い悪魔は「まだまだですよ」と誘惑する。

 男の斜め横の黄色に縁どられた表示プレートの中の絵が赤・黒とバタバタ飛び舞っている。

 そのうち男は下腹部に腹騒ぎを感じて、思い出したように表示プレートの矢印の方向に歩き出した。

 一階下にそれはあった。しかし、そこは立ち並ぶ人でいっぱいだった。

 男はもう一階階段を下りた。そこにも人々が並んでいた。

 男は下腹部の腹騒ぎに、喉の吐き気も覚えてきた。男は我慢できず、萎える足取りで小走りした。

 近くのエレベータに乗って最下階までのボタンを押し続けたが、体全体がぶるぶる震えだし、なんだか、汗のような変な生ぬるい水分が全身に染みわたっていった。

 男は、別府温泉の「極楽トイレ」ならぬ、「トイレ地獄」へ向けてまっしぐらに下降してゆくのであった。

 

 

ちいさい秋 みつけた

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小さな紅葉

 葉っぱが三枚(+R)赤く染まっていた。

 街の街路樹にちさい秋を見つけた。

 子どものころ聞いた(歌った)童謡を思い出す。

 

       だれかさんが だれかさんが
  だれかさんが みつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋 みつけた
   めかくし鬼さん 手のなる方へ
   すましたお耳に かすかにしみた
   よんでる口笛 もずの声

           (「ちいさい秋見つけた」サトウハチロー

 

 そういえば、子どものころは誰でもよく鬼ごっこをしたっけ。

 「誰かさん」は独りぼっちで、遠く離れた場所から鬼ごっこで遊ぶ子供たちの声を聴いている。

 自分も鬼ごっこに加わりたいのだが、ひとりで家の中にいるのだろう。

 部屋の中で耳をすますと、鬼ごっこをしている子どもたちの口笛が秋を呼ぶモズの声にも聞こえる。誰かさん(少年)を呼んでいるのだろうか。

 

二番は次のようの続く。

 

  お部屋は北向き くもりのガラス

  うつろな目の色 とかしたミルク

  わずかなすきから 秋の風

 

    少年は北向きの部屋で病気で寝込んでいる。

 くもりガラスにうつる、熱でうつろになった自分の目を見ている。それは、昔お母さんが作ってくれたミルクの色を思い出す。

 わずかなすきま風にも秋を感じる。  

 

 三番もある。

 
   むかしのむかしの 風見の鳥の
   ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
   はぜの葉あかくて 入日色
 

 体の弱い少年は、昔むかし一度だけお母さんに連れられて行った教会がある。

 その教会の風見鶏のとさかに赤いはぜの葉がからんでいた。そこに背後から入日がさして、ますますさびしい秋の気配を呼び起こした。

 しかし、少年はいま、寝床の中で西日に浮かぶ教会でお母さんと一緒にいて、風見鶏と同じように、お母さんの周りではしゃいでいる夢をみている。

 

 

 ・・・と僕が物語を作ったのではない。

 詩の作者サトウハチローの原体験が変形された詩物語である。

 

 サトウハチローの父は、作家の佐藤紅緑。母は佐藤はる。この両親の長男として、1903年明治36年)5月23日、東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)に生まれる。

 中学に入学後、父が舞台女優の三笠万里子と同棲するようになり両親は離婚、父への反発から中学を落第、退校、勘当、留置場入りを重ねる。

 感化院のあった小笠原諸島の父島で父の弟子であった詩人の福士幸次郎と生活を共にし、影響を受ける。

 1919年(大正8年)福士の紹介により西條八十に弟子入りして童謡を作り始め、数々の雑誌や読売新聞などに掲載される。

 母親への想いなどをうたった叙情的な作風で知られ、2万にもおよぶ詩のうち3千が母に関する詩である。

 作風に反して私生活は放蕩、奇行が多く、その振る舞いに関しては佐藤愛子(異母妹)の長編小説『血脈』に詳しい。

 なお、『血脈』によると、ハチローは小学生時代から不良少年で、実母に対しても愛情らしきものを示したことはなく、作品に表現されている「母親への想い」はフィクションだという。    (ウィキペディアより)

 

 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた 
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
 めかくし鬼さん 手のなる方へ
 すましたお耳に かすかにしみた
 よんでる口笛 もずの声
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

 

 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
 お部屋は北向き くもりのガラス
 うつろな目の色 とかしたミルク
 わずかなすきから 秋の風
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

 

 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
 むかしの むかしの 風見の鳥の
 ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
 はぜの葉あかくて 入日色
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

   (「ちいさい秋みつけた」作詞・サトウハチロー 作曲・中田喜直) 

 

 心に染み入るメロディーは詩のフィクション性を普遍的なものにする。

 

 

 

  

宝くじ売り場から見える風景

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宝くじと観覧車

 宝くじを買ったことがあるだろうか?

 ほとんどのひとは一度くらいは宝くじを買っているだろう。

 それを買い続けるかどうかは人による。

 高額当選(1億円以上)の経験があるものは数少ない。それでも高額当選を夢見て買い続ける人は多いだろう。

 いつかは高額当選し億万長者になる夢をみるのは楽しい。今の仕事を辞め、海外旅行し、高級車を乗り回し、はては日本脱出の夢をみるのはなお楽しいだろう(1億円じゃ足りない?、じゃ10億円にしよう、夢見は自由だ)。東南アジア(マレーシア)で王族の暮らしをしよう。

 目の前で威張り腐っている上司に辞表を叩きつけて、意地悪な同僚を尻目に、さっそうと職場を後にする。まるで映画のワンシーンを演じてる気分になる。そんな自己主演の映画を夢みるのも楽しいだろう(ついでだ、監督主演映画を1本つくろう。1億円でつくれるかもしれない)。

 まさに、宝くじのもたらす夢見る夢のオンパレードだ。

 観覧車に乗って次の名セリフを吐くのもいいだろう。

  「~だれかがこんなこと言ってたぜ。
  イタリアではボルジア家三十年間の戦火・恐怖・殺人・流血の
  圧政の下で、ミケランジェロダ・ヴィンチなどの偉大な
  ルネサンス文化を生んだ。
  が、片やスイスはどうだ? 
  麗しい友愛精神の下、五百年に渡る民主主義と平和が
  産み出したものは何だと思う?
  『鳩時計』だとさ!~」(映画『第三の男』オーソン・ウェルズ

 むろん、ここで僕が強調したいのは、「ミケランジェロダ・ヴィンチ」ではなく、「鳩時計」のほうである。五百年にも渡る平和は簡単にできるものではない。一人二人の天才より永遠の平和が必要なのだ。

 それこそ、「宝くじが毎日買える平和」というものだ。

 僕は10億円の宝くじが当たったら、1本の映画を作る。

 題名は「ゴジラ・南海孤島の大決戦」である。

 ある南の島の地下に眠っている核エネルギーに導かれてゴジラが上陸し、島を支配する軍事戦闘部隊と死闘を繰り広げ、軍事基地を破壊し、最後は、核エネルギーをすべて体内に吸収したゴジラが海に帰っていくというパニック・戦闘映画である。

 島人は、軍事基地の跡地の台地に強大なゴジラ銅像を平和のシンボルとして建設し、島はそれから500年も平和であったとエンドロールを流すのだ。

 なんだかすごいな、10億円でつくれるのかな、30億円は必要な気がする。

 でも、夢見る夢は自由自在だよ!

 

 

 

 

三角食堂

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三角食堂

 とある町の三叉路の角地に小さな食堂がある。

 二つの車道に囲まれた食堂は瓦屋根の二階建(一部が二階)の一階部分に大きな看板が掲げられている。

「三角食堂」

 地形に由来するであろう食堂名ははシンプルで一直線(三角形)である。

 ・・・

 その中に入るとテーブル席が六つある。

 壁に掛かった大きな三角形の時計が三時を打っている。

 メニューを見ると、三角おにぎりを始め、おでん、サンドイッチと三角形料理をはじめ、さらには三角ソバ、三角ステーキ、三角オムライスとすべてのメニューが三角形の形をした料理になっている。

 食器もまた三角形で、三角お皿に、ごはん・汁椀も三角形である。コップも三角形である。

 箸は先が三角形(先っぽが少し丸め)で、フォークも先が三つ又逆三角形でスプーンも丸みをおびた三角形である

 備えられた調味料(コショー、醤油など)も三角形の器に入っている。

 むろん、テーブルも三角形だった。三角地の頭に合わせてテーブル一つ、次の列はテーブルが二つ、そして最後の列はテーブルが三つと、三角形のピラミッド列となっている。

 とすると、このテーブルは三人までしか腰掛けることができないのだ。

 三角形の店内に合わせて空間をうまく活用するためにテーブルが三角形になったのだろう。椅子も三角形だ。しかし、それにしても料理品も三角形にしたのはどういうわけだろう。

 店主は言う。

「料理とは『生もの』『火にかけたもの』『腐ったもの』に分類できるととフランスの哲学者は言っています。料理の三角形ですね。私の店はまさにその三角形をいろいろアレンジ(煮たり、焼いたり、燻したり)して出しているので、料理の形もまた三角形にして出したのです。その方が食べやすくおいしいですよ」

 おむすび頭とおむすび体形の三角(みすみ)三郎さんは言った。

 僕はさっそく、三角お皿に盛られた三角オムライスを三角スプーンで食べてみた。

 それは、本当に食べやすくおいしかった。

 ・・・

 ・・・

 僕はそんな白日夢を見た。

 

 

 

テーブル番号

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はま寿司のテーブル番号

 男は一人でその店に入った。

 渡された座席番号は44番。

 その店は商品が回転しながら客の前に提示され、その商品を気に入った客が勝手に取っていいことになっている。または、タブレットに商品が提示され、注文画面を押すと商品が回転ラインに乗って客の前に来る、その時、商品画面が表示され音声で知らせてくれる。それをすばやく取る。

 男は商品を取り損ねた。

 お知らせの音声と画面を確認している間に商品は男の前をすっと通り過ぎて行った。

 タイミングが悪いのか、次に注文した商品も取り逃がしてしまった。

 そのつぎのもだ。回目だ。

  男は焦った。

 これではいつまでたっても商品にありつけない。

 男は考えた。

 まず、目の前を回転していく商品を取る練習からはじめよう。

 品目をゲット。

 品目を取り上げた

 品目を無事奪取。

 これで完璧だ。

 男はそう思った。

 これで自分の好きな商品が選べる。

 男はタブレットの商品欄を開け、目当ての商品を選び注文した。

 心を落ち着け、耳をすまし、目は回転するラインとタブレットの画面を同時に注視した。心は止水明鏡、耳はウサギの耳、目は出目金の目になって息を止めた。

 時は流れ、静かに回転ラインに乗った商品が向こう側からヤッテくる。

 、あれっつ、音声は流れず画面も表示しない、と商品は男の前を通りすぎ、離れた客がそれを取り上げた。

 男はうなった。

 これは難芸だ。釣り人以上の精神と技量がいる。

 男は諦めた。

 目の前をゆっくり流れていく商品を取り上げて満足した。

 

 以上は、僕の友人の話である。

 友人は言った。

 「寿司を食べるなら寿司定食がいいいね」

 そして、僕は思った。

 44番とは孜々しし(熱心に努めはげむ)空しのことであったのだと。

 

ペンが並ぶ

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水性六角ツインペン

 ペンが並んでいる。青紫。黒。

 規則正しく並んでいるよに見えて、少し、右を見ているペン、左を見ているペン、あるいは隣のペンにもたれかかっているペンなど、長い間店頭に並び疲れているような感じのするペンの整列である。

 後ろでは青緑がワイワイガヤガヤとなにやら騒がしく動き回っている。後方から押されて前列の右側ののペンが黒のペンにもたれかかって、その勢いで後ろの黒のペンがのペンの集団の中に紛れ込んだ。

 大丈夫だろうか。後列の黒のペンの集団がその仲間のペンを取り戻すかのように勢いよくの集団にくってかかっている。

 青緑のペン三本は仲間の二本を心配しながら、遠巻きにこわごわと、みんなから離れてたたずんでいる。

 早くお客さんが買いに来て何本か買って引き抜いてくれたら、店員さんが来てまたきれいに並べてくれるのに、と左側に並んだ赤色系の集団は思っでるだろう。

 売れるが勝ち。

 でも、売れなくて居残るのもまた楽し。

 かな?

だれも座らないベンチ

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あるバス停のベンチ

 そこには使い古され年月のたった半分壊れかけたベンチがあった。

 だれかが座ったことがあるのだろうか。

 長いこと使われていないような気がする。

 だれもこの背もたれの欠けたベンチには座らないのだろう。

 そこへ、ひとりのおばあさんが来た。バスが来るのを待つのだろうが、チラッとベンチを見たがそのまま立ちながらバスを待っている。

 おう、そこまれ嫌われたのか、悲しいねベンチ君。いくらなんでも疲れたら休んでくださいね。さびしそうなベンチ君のかわりに僕はそう思った。

 それとも、ベンチ君は我関せずで、誰が座ろうが、座らなかろうが構わないのかもしれない。何年も人々から忘れ去られ、ベンチの座板も雨風のためとげとげになっていて、背もたれの板も剥がれ、鉄枠と座板だけでかろうじてベンチの形を保っている。

 自分が、人が座るための椅子であることも忘れていて、バス停の案内板と思っているのかもしれない。

 でもよくみると、鉄枠のスタイルはなかなかシュンとしていて、色褪せてはいるが細身のモダンな北欧風ベンチにも見えてくる。人々はその気取ったベンチ君の雰囲気に恐れをなして座るのを遠慮しているのだろうか。

 人が、バスが来るまでの長時間を気楽に待っていられるよう置かれたはずのベンチが、いま、風景の中で奇妙なスタイルの造形物になっている。

 よく見ると、ベンチの後ろに沖縄独特の石敢當のお守りがブロック塀に埋め込まれている。「石敢當」は中国伝来で、角地にぶつかると反対側の家を襲う魔物を封じ込める、魔よけのためのお守りを意味する。

 すると、このベンチ君は災いを防ぐため、「マジムン(魔物)」を歓待・慰撫するためのお守り椅子なのかもしれない。「石敢當」に粉砕されそうな「マジムン」をやわらかく迎えて休ませ(座らせ)、そのパワー(邪気)を和ませる役目を果たしているのかもしれない。

 それだからこそ、ベンチ君のその神々しさに感心して、人々は.畏敬の念から敬して遠ざかっているのだろう。

 僕は、そう理解し納得した。

 ベンチ君お疲れさん!

 

初めてのブログ開設

                 残波岬銅像


 今日のブログ講座は、悪戦苦闘の連続。何度も入力画面で失敗した。

 この画面にやっとたどり着いて、ほっとしている。

 自分だけが取り残された気分で、本当に今日でマスターでき、みんなに追い付いていけるのかひやひや、サスペンス映画並みの心理状況だった。

 完全に自分を見失っている。

 映画で言えば「恐怖の報酬」になるが、さすがに、トラックまるごと大爆破ではなく、恐怖の報酬として逆にこのようにブログを書いていることになる。

 一大逆転のサスペンス劇場で、ハッピーエンドになれば幸いだ。