ショットなストーリー

一枚の写真から浮かぶショートストーリー

ちいさい秋 みつけた

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小さな紅葉

 葉っぱが三枚(+R)赤く染まっていた。

 街の街路樹にちさい秋を見つけた。

 子どものころ聞いた(歌った)童謡を思い出す。

 

       だれかさんが だれかさんが
  だれかさんが みつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋 みつけた
   めかくし鬼さん 手のなる方へ
   すましたお耳に かすかにしみた
   よんでる口笛 もずの声

           (「ちいさい秋見つけた」サトウハチロー

 

 そういえば、子どものころは誰でもよく鬼ごっこをしたっけ。

 「誰かさん」は独りぼっちで、遠く離れた場所から鬼ごっこで遊ぶ子供たちの声を聴いている。

 自分も鬼ごっこに加わりたいのだが、ひとりで家の中にいるのだろう。

 部屋の中で耳をすますと、鬼ごっこをしている子どもたちの口笛が秋を呼ぶモズの声にも聞こえる。誰かさん(少年)を呼んでいるのだろうか。

 

二番は次のようの続く。

 

  お部屋は北向き くもりのガラス

  うつろな目の色 とかしたミルク

  わずかなすきから 秋の風

 

    少年は北向きの部屋で病気で寝込んでいる。

 くもりガラスにうつる、熱でうつろになった自分の目を見ている。それは、昔お母さんが作ってくれたミルクの色を思い出す。

 わずかなすきま風にも秋を感じる。  

 

 三番もある。

 
   むかしのむかしの 風見の鳥の
   ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
   はぜの葉あかくて 入日色
 

 体の弱い少年は、昔むかし一度だけお母さんに連れられて行った教会がある。

 その教会の風見鶏のとさかに赤いはぜの葉がからんでいた。そこに背後から入日がさして、ますますさびしい秋の気配を呼び起こした。

 しかし、少年はいま、寝床の中で西日に浮かぶ教会でお母さんと一緒にいて、風見鶏と同じように、お母さんの周りではしゃいでいる夢をみている。

 

 

 ・・・と僕が物語を作ったのではない。

 詩の作者サトウハチローの原体験が変形された詩物語である。

 

 サトウハチローの父は、作家の佐藤紅緑。母は佐藤はる。この両親の長男として、1903年明治36年)5月23日、東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)に生まれる。

 中学に入学後、父が舞台女優の三笠万里子と同棲するようになり両親は離婚、父への反発から中学を落第、退校、勘当、留置場入りを重ねる。

 感化院のあった小笠原諸島の父島で父の弟子であった詩人の福士幸次郎と生活を共にし、影響を受ける。

 1919年(大正8年)福士の紹介により西條八十に弟子入りして童謡を作り始め、数々の雑誌や読売新聞などに掲載される。

 母親への想いなどをうたった叙情的な作風で知られ、2万にもおよぶ詩のうち3千が母に関する詩である。

 作風に反して私生活は放蕩、奇行が多く、その振る舞いに関しては佐藤愛子(異母妹)の長編小説『血脈』に詳しい。

 なお、『血脈』によると、ハチローは小学生時代から不良少年で、実母に対しても愛情らしきものを示したことはなく、作品に表現されている「母親への想い」はフィクションだという。    (ウィキペディアより)

 

 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた 
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
 めかくし鬼さん 手のなる方へ
 すましたお耳に かすかにしみた
 よんでる口笛 もずの声
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

 

 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
 お部屋は北向き くもりのガラス
 うつろな目の色 とかしたミルク
 わずかなすきから 秋の風
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

 

 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
 むかしの むかしの 風見の鳥の
 ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
 はぜの葉あかくて 入日色
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

   (「ちいさい秋みつけた」作詞・サトウハチロー 作曲・中田喜直) 

 

 心に染み入るメロディーは詩のフィクション性を普遍的なものにする。