この道はどこに
ある晴れた日である。
好天気に誘われて、男は車に乗ってドライブしようと思った。海が見たくなり、西海岸の方向に向けて車を運転していた。
遠くに見える水平線に向かって、道路に沿って運転していると思っていたが、どう間違えたのか、水平線が消え、突然、畑の中の細い道に出てしまっていた。
細い道は畑と草原に覆われている。かろうじて車二台がすれ違う程のぎりぎりの細さである。
男は車を引き返そうとも思ったが、たまには冒険もいい、行ける所まで行ってみよう、めったいない冒険心が湧き出た。そのままハンドルを八の字に構えて前進した。
細い道が続き、行先が行き止まりのような、奥には木の生い茂った荒れ地の広場に出た。それ以上は車では進めそうもない。手前の脇道には、石を敷き詰めた歩道が草むらの間に延びている。
男はその歩道をちょっと歩いてみようと車を降りた。あたりは畑はあるが人はいない。ここが何処であるのかの標識もない。そもそも畑がある以上誰か持ち主がいるはずで、そう危険な場所でもないだろう、そのうち人も出てくるだろう。
男はそう推測して、敷き詰めた石を一歩ずつ踏み込んで歩いた。丁寧に敷き詰められた石道は、おそらく誰かの邸宅につながっているはずである。人の良さそうな御主人が出たら、お茶でもいただこうか、男はのんびり考えながら歩いていった。
男はそれから15分ほど歩いた。前をみてもそれらしき豪邸は見つからない。なにか、勘違いしていたのか、男の意識に変化が出てきた。少し不安になってきた。「こりゃ間違った。ここは何もない、少し暗くなってきた。たぬきが出そうだ、早く引き返そう」
そろそろ疲れてきた。男はもと来た場所に引き返そうと右側を向いた。すると、右側にはさらに細い道があり、その奥の小高い場所に小さな丘があった。その丘の真ん中に階段状の道がある、その小高い所の一部はちょっと休めそうに見えた。水の音もかすかに聞こえる。
男は、好奇心にかられて少し寄り道をして行こうと思った。
土の階段はハッキリ七段あった。一段一段昇るたびにギシギシと音をたてる。男はその音が、なにか合図を送っているように聞こえるが、葉っぱが散らばっていて、その葉っぱの間に水がすこしたまって音がするのだろう、そう解釈した。
だが、階段は音がするだけではなかった。階段は一段一段昇る間に時間が十五分ずつ過ぎていっているのである。ギシギシの音は時間の早送りの音であり、フィルムの早送りのようなものである。誰ががフィルムを早送りしている?
男はそれに気づかない。
丘の上に昇った。男は少し疲れた感じがした。「まさか、たった七段で、疲れるわけがない」
小高い丘程度だと思ったが、丘の向こう側に回ると、そこは山のてっぺんであった。夕日が水平線の向こうに沈んでいこうとしている。「えっつー、もうこんな時間になっていたのか」男は時計を見た。確か、家を出たのが、1時頃で、2時間運転していてもまだ3時ごろの計算である。夕日が沈むはずはない。男の計算と向こうに見える景色とは時間が合わない。
「早く車にもどろう」男は少し焦った。だが、せっかく登ったのだから(登った?、たったの7段で大げさすぎる。でも足の疲れは相当登った感が十分ある)、男は少し休憩しようと思った。
こだかい丘の中央には円形の休憩所のようなものがある。木製のテーブルを囲むように円形の椅子が四隅を囲む。なぜか真ん中に堂々としたタヌキがそれぞれの椅子に向かうように置かれている。高さ40センチメートル程の異様に大きな置きタヌキである。
タヌキの目はちょど座っている人の目線である。何か、らせん状のグルグル巻きの目玉である。それを見ていると目が回りそうで、男はすぐに目をそらし、反対側に向いて座った。
男はタヌキの目に、なぜか、映画シーンの早送り(時間経過の仕掛け)を連想した。「やはし、俺はタヌキにばかされている」
水の音がしたと思ったが、川はなく、どこにも湧き水は出ていそうもない。「もしかしたらたら幻聴?」男はぞっとした。
休むのを辞めて、急いで階段の方に向かった。階段に足を踏み入れて歩むが、なかなか前に進まない。階段は無限に続いている。「そんな、馬鹿な。階段は立ったの七段しかなかったはずなのに。どうなっている」
男は後ろを振り向かずひたすら、足元の階段を一段数えながら降りて行った。
100段、200段、500段・・・
「まさか、うそだろう。これが本当のマサカの真坂か?」
・・・1000段、男はもうそれ以上は数えることができなかった。男の足はガクガク、背中はぶるぶる震えている。汗は全身を濡らし、呼吸も荒くなってくる。途中で休む気力もなく、男は転げる落ちるように前に進んだ。
遠くで聞こえる音は、妙な音階を刻んでいたが、なぜか、聞き覚えのある調べだった。
~♪ しょう しょう しょうじょじ
證城寺の庭は
ツ ツ 月夜だ
皆(みんな)出て 來い來い來い
己等(おいら)の友達ァ
ぽんぽこ ぽんの ぽん ~♪
(『證城寺の狸囃子』詞:野口雨情)
・・・
翌日、村人によって男が倒れているのが発見された。
男は意識を取り戻したとき、「ぽんぽこ ぽんの ぽん」と何度も同じ音階をくり返し歌っているだけだった。
男の歩いた石道は行き止まりであり、「行き止まり」の標識が立てられていた。そばには小さなタヌキの像が4個置かれていた。
『ここは昔は有名なタヌキ林であった』との標柱が朽ち果てた姿で、半分倒れていた。
13階のエレベーター
ある週末の真夜中3時を過ぎた時刻の出来事である。
私は仕事での2泊3日の旅行を終え、自分の住んでいるマンションに帰って来た。飛行機が遅れ、こんな時間になってしまっていた。
マンションビルのフロアーに入り、暗証番号を押しエレベーターホールへの自動ドアを通り、エレベーターの前に立った。私は、エレベーターのボタンを押した。もうすでにエレベーターは、誰かが乗っている。階の数字が上がって行く。2、3、4、・・・
こんな遅い時間に誰、ああそうか、飲んだ帰りだな、私は自然にそのように考えた。
・・7階、エレベーターが止まった。誰か乗った、あるいは下りてまた乗った。エレベーターはそのまま上に昇っていった。
こんな夜中にまだ住民は起きているのかな、私はのんびりした気分でエレベーターが下りるのを待っていた。
また、エレベーターは止まった。今度は下りてくるだろう。長らく同じ階の数字が表示されている。それでも、乗った人が下りるのにはあまりにも時間がかかりすぎる。1分以上待っている。何かが起こったのだろうか。
すると、またエレベーターは動き出した。まだ上の階だ。そんなはずはない。この建物は13階建だ。さっき13の数字を示していた。それが、矢印は上を示したままだ。エレベーターは動いている。エレベーターは13階の上を目指して上昇している?
まさか、そんなことがあるはずはない。3階の読み間違い?
私は老眼鏡を取り出して表示の数字を確認した。やっぱり13の数字である。何かおかしい。こんな時はどうすればいいのか、私は自分に問いかけた。エレベーターのこちら側には何も操作するものはない。エレベーターを開閉する押しボタンだけである。
だが、エレベーターの表示上は13で止まったままになっているだけで、それが、下りてこないだけの状況かもしれない。一時的な故障で13階で止まっているだけかもしれない。動いているように聞こえるのは、音の空回りなのかもしれない。
もう少し、待ってみよう、私は心を落ち着けた。だが、すぐに私の心臓はドッキとした。頭の中に次のような情景が浮かんだ。
・・・
一人の小太りの中年男がほろ酔い加減で帰ってきた。月末の一仕事終えた後のはしご酒だった。最後の店のママさんはいい人だった。飲ませ上手で、帰りが3時近くになってしまった。男はタクシーで帰って来た。
男はエレベーターに乗り、いい塩梅の酔いかげんで、フラフラしている。エレベーターが止まった(7階)。男はいったん下りたが、階を押し間違えていた。男はさらにエレベーターに乗り込み、下りるべき13階を押し直して昇っていく、まだ意識はハッキリしている。
エレベーターは13階に止った。男はエレベーターを降りようとしたが急に胸を押さえた。持病の心臓が痛みだしたのだ。男はドッとその場に倒れた。男の体はエレベーターの内と外にまたがって倒れた。
エレベーターは自動的に閉まろうとするが、男の体に当たっては開き、また閉まろうとするが開く、それが繰り返される・・・
・・・
私の脳裏にそのような情景がよぎった瞬間、カチっと音がしエレベーターは下りてきた。
なんだ、心配させやがって、私はホッと一息ついた。私は頭を振りいやな映像を振り切った。
10、9、8と数字が下がって来る。7階、今度も7階で止まった。まだ、誰かこんな夜中にコソコソ階を行き来しているやつがいるのか。さらに長い時間待つ。
また、ドキッと胸騒ぎがした。
まさか、泥棒?こんな真夜中にマンションの階を行ったり来たりする住民がいるだろうか。いくら、知り合いだからといって、夜中にそう何度も行ったり来たりする住民なんでいないだろう。
私はエレベーターの前から一歩さがり、エレベーターが下りてくるのを身構えて待った。
7、6、5階とエレベーターは下りてくる。すると、また5階で止まった。
これは、やはり怪しい、絶対に泥棒に違いない。こんな夜中の3時過ぎに階ごとに降りるなんて、新聞配達じゃあるまいし。
新聞配達人?まさか、そんなの聞いたことはないぞ。
私の頭には盗人結びの頭巾で顔を隠し、風呂敷を肩にかけた泥棒の姿が浮かんだ。鼠小僧次郎吉?それはあまりに典型的な昔見たテレビの映像だった。
私は、もう一歩下がってあたりを見渡した。何か、武器になるものはないものか。泥棒だとまずい。だが、なにも見当たらない。いざという時は、この旅行カバンを泥棒の足元に投げ、逃げるしかないと悲壮感を漂わせながら待った。
エレベーターが5階で止まること1分間が過ぎた。
私の心臓の鼓動は早まり、その音が全身を震わせる。全身のふるえを抑えようと腕を組むと、足がガクガク鳴り出した。唇も震え歯で舌を噛みそうになる。大声をあげたくなってきたが、私は両手で抑えて耐えた。
エレベーターが動き出した。4、3、2と表示ボタンは移動していく。そのたびに、心臓音が大きく同調し大爆音化する。心臓が爆発するかもしれない。私のほうが心臓麻痺で倒れそうだ。
2階で止まってくれ、それ以上は動くな。私は、表示ボタンを凝視し念じた。私は逃げ出したくなる足を抑え低く構えた。靴先は出口を向いている。
エレベーターの表示は2階で止まった。まさか、ありえない。私はサイキネシスト(念力者)だったのか?いつからX‐メンになった?
・・・と、つかの間の喜び。エレベーターはとうとう1階に下りてきた。そして、エレべーターのドアは開いた。
ガッチャン、ガタガタ、ガシガシ、ガーンと大きく音を立ててエレベーターのドアが開いた。
・・・アッーと、私は息を飲み声を押し込む。
そこには、小太りの中年男が猫を抱えて困った顔をしていた。
私は驚いた、驚いたのと同時にホッとした。見知った顔であったから。男は、やはり13階に住んでいるK氏であった。でも、なぜか猫をかかえている。なぜにK氏は自分のマンションの部屋にいない?
私の頭の中には疑問が百出する。心臓のドキドキが頭のズキズキに変わっていった。
K氏はべそをかいたような顔をして、私に挨拶して、猫を抱えてまま私の横を通りすぎて、自動ドアを通ってフロアーから外へ出て行った。
呆気にとられた私は、K氏と言葉を交わすこともまなく、開いたエレベーターに乗った。私は自分の階を確かめて力強くボタンを押した。私の心臓は少しずづ穏やかな鼓動に戻っていった。
・・・
礼儀として、私は後日談をここに記す。
私は数日後、K氏から次のような話を聞いた。
その日、K氏はやはり私の予想どおり、酔っての帰りであったそうである。そこまでは私の予想通りであり、その後のK氏の奇想天外な行動は今では笑い話でしかない。
K氏はエレベーターに乗ったが、少し酔っていたので、間違った階のボタンを押した。でもチャンと自分の階も押していたので13階までたどり着いた。13階でうまく下りたと思ったら、なぜか、ノラ猫が入って来た。なぜにここに猫がいると思ったが、猫がエレベーターに閉じ込められたら大変と、エレベーターを止めて捕まえようと悪戦苦闘した。ネコは怯えてエレベーターの隅の方に逃げる。
だが幸いだった、K氏はノラ猫を捕まえることができた。
心やさしいK氏は、ノラ猫は間違って入ってきたのだろう、とノラ猫をマンションの外に逃がそうとした。暴れる猫と格闘しているうちに間違って7階と5階と2階のボタンを肘で当ててしまったのだそうである。
それぞれの階でドタバタ劇を繰り返し1階にようやくたどり着いたら、私に出会って、恥ずかしくなって挨拶もせずにそのまま外に出たとのことであった。
今になっては笑える話である。それはもう一つの逸話を生む。
それは、私のX‐メン能力が証明されたこという。「酔っぱらった男」と「泥棒(猫)」(むりやり)を透視したテレパシー(透視力)は新人類・ミュータント(X‐メン)に相応しいのではないだろうか。
13階の奇跡(酔っ払い男とノラ猫の出会い)を透視した私はX‐メンだったのである。
僕はノラ猫だよ、名前は野良。
僕はノラ猫だよ、名前は野良。名前は自分でつけた。
誰も僕のことを「野良」と本当の名前で呼ばず、「タマ」、とか「ミケ」とか「ゴロニャ」とか勝手に名づけて呼んでいる。
僕の大好きな魚などをあげるなら、「ニヤッ」と鳴いたりするが、普段はそれほど人間に近づかない。面倒くさいのだ。
ノラ猫になって三年。僕も以前は家ネコだったよ。大きな家に飼われていた。
うまれた時は、五匹の兄弟猫、お母さん猫と一緒にその家で育てられたけど、ある日、外に出たら迷子になり家に帰れず、そのまま、家族と別れて僕は一人ぼっちになった。
最初は、不安で心細く、小さな声で鳴き、公園などの草むらの中などで隠れていたが、大きな猫の動きをまねて、人間というおせっかい屋さんにエサを与えられているうちにノラ猫生活が身に着いたのだ。
だから、人間はそれほど怖くはない。でも、小さな子供とか、何かしようと近づいてくる人間、例えば、じゃらじゃらなどでからかい、エサを与えて写真を撮ろうとする人間は面倒くさいよ。
小さな子供は特に僕を犬君と間違えて、お手などをさせようとするからいやだよ。
僕は、犬君みたいに人間様に仕えるように訓練されていないから、そんな芸当などはできなと拒否するのだが、何度も何度もせがむので、お手の真似をすると喜んで、繰り返し欲求するものだから苦手だよ。
二度目は、見なかったふりをして知らんぷりをする。すると、人間の親はなぜか納得して「やはり、ネコは冷たいね」とわかったような口をきく。いい気なもんだ。人間様は分かってないね。犬君の息も絶え絶えの演技を察してくれてもよさそうなもんだよ。
といっても、僕たち猫族は、犬君たちに同情はするが、そうたいして共感はしないよ。
僕たちがみるところ犬君はどうも人間様に媚びすぎている気がするんだよ。まあ、それは、仕方がないことかもしれない。世の中には野良犬は存在しないことになっているからね。犬はみんな人間の御主人様と一緒に家犬としか生きられないからね。
でも、僕たち猫族のノラ生活もそう楽ではないよ。
家ネコの生活の苦労は記憶がないからあまり言えないが、ノラ猫の生活は、自由とともに自主・自立が要求されるから、フラフラ自由でのんびり生活は無理だよ。基本的には狩人の心構えだね。
自分の分は自分で、食い扶持は自分で探さなきゃならないからね。自由には自立が対語だよ。結果はどうなるか誰もわからないから、誰も責任については言えないさ、神様も関知しない自然まかせということさ。
ああ、僕の冒険談を聞いてくれるかい。特別に君には僕の話しをしてあげよう。
間違って家出してしまった僕は、帰る道を探せず、トボトボ家々の壁づたいに歩いて行った。塀を乗り越えて、大きな道に出た。さらに、大きな道路に出て、初めて車をみて、そのスピードと大きさににビックリ、毛が逆立ったよ。間違って轢かれたら、次々に車の下敷きになってせんべい布団だね。その光景は何度もみたよ。
家の外は危険だらけだと思った。僕は早く帰りたいと願った。心細くなって、足も痛くなって、小さな祠のそばで休んでいた。
僕は疲れてそのまま眠ってしまった。何時間も眠った後、どこからかいい匂いがするので、目を開けると、目の前に魚の切り身を差し出すおばさんがいた。僕は、おそるおそるその切り身を食べた。とても美味しかった。どうも、天ぷららしい。家で食べた覚えがあった。
そのおぼさんはまた、たくさんの魚の切り身を周辺の地べたに撒いていく。すると、いままでどこかに隠れていたのか、たくさんのネコがそのエサをともめて這い出してきた。10匹ばかりの僕より大きな猫がおばさんを囲んでエサを食べだした。
僕はその猫の集団をみてホッと心が落ち着いたよ。ここはネコの国なのかと思った。でも、だれも僕のことを気にしない。自分のエサを食べるのに精いっぱいである。おばさんがいなくなり、餌がなくなると、自然、猫たちはどこか自分の棲み処に消えて行った。
ぼくはまた一人ぽっちになって、トボトボと歩き出した。行く当てもないので、自然、おばさんの歩いた方向へ歩き出した。
ある大きな家の門の前を通ると、大きな犬が吠えた。僕は初めて犬を見たので、その時同じ仲間だと思って、仲良くなろうと近づいたのに、さらに大きく吠えたので、僕は後ずさりした。一瞬にこの犬はいやな奴だと思った。
家犬は融通がきかない。自分を人間の仲間だと思って勘違いしている。犬君は勘違い野郎が多いと思う。これは僕の偏見だ。気にしないで欲しい。
犬に吠えられて慌てて逃げだしたのでおばさんの行方を見失った。しかたななく、またトボトボ一人で歩き出した。
たどり着いたのが今いる公園だった。
やはり僕は歩き疲れたので、公園の木の茂みに隠れて休んでいた。
すると、僕より少し年上の気品のありそうな猫が近づいてきた。それがシャム猫のシャム君だった。かしこそうな顔に俊敏そうな肉体がかっこよく見えたよ。
おや、暗くなってきなね。今日は僕の話はここまで。そろそろ、僕のハンティングの時間だからね。
ピノキオ鳥の綱休み
一羽の鳥が海を渡って来た。何百万海里の海を越えて北の大陸から南の島に飛んできた。
クチバシのとがった三角頭の細身で、まるでピノキオのように木で作られたような、変わった鳥だった。鳥は疲れたのだろう、桟橋に停泊中の船の係留ロープに止っていた。
じっとこちらを伺っているように見える。密かに何かを考えているように見える。ピノキオのように人形だったのが、魔法を掛けれらて生きた鳥にされたのだろうか。それとも、人間だったのが、鳥に変身させられたのだろうか。いわくありげな風貌が人間味を感じさせる。僕は「考えるピノキオ鳥」だと思った。
「やあ、気づいたね。君ももしかしたら、無理やり人間にさせられたピノキオ人間じゃないのかい。」ピノキオ鳥は僕の脳に、直接テレパシーのように語り掛けてきた。
「僕は、北の国に生まれた人間だったよ。人間の両親に生み育てられ、何年も同じ場所で同じ生活を繰り返していた。朝起きて、夜寝るまで歩き、座り、横になるの繰り返しだった。いつも地球の重力に引っ張られ、周りを気にし、何年も人間をしていた。
ある日人間はつまらない地べたにへばり付いているだけだ、自由な鳥はいいなと思ったんだ。大空を自由に飛べるのは気持ちいいだろうと思った。
すると、どうだろう。願った瞬間、人間としての僕は消え、いつのまにか鳥に変身していた。僕は、青空を自由に飛ぶ自分を見て、何回も何回も本当の宙返りをしたよ。
でも僕は何度も何度も、海を越え、島を超え、山を越えて、移動して飛んでいく鳥の生活に疲れてしまったのだ。だからもう一度、今度は鳥の人形にしてもらおうと願っているんだ。一日中何もしなくていいからね」
ピノキオ鳥はしみじみと語ってくれた。
僕は、自分が人形だった記憶はないが、子供のころよくピノキオの物語を両親にせがんだ記憶がかすかに残っている気がした。もしかしたら、僕は人形だったのかもしれない。ピノキオ鳥のテレパシーは僕の意識を人間以外に近づけた。
風の音がより大きく聞こえた。太陽の熱を直接体に感じた。空の青さが目に染みいると思った。草花の匂いが強く鼻を衝く。呼吸するたびに空気の味を舌で感じた。喉が震え言葉の代わりに口から音楽が奏でられる気がした。
ぼくは自分の身体が自然の中に包まれていると思った。ここち良かった。無理に何かを考えることをしなくていいと自分に言い聞かせた。
風に体が揺らぎ、熱に心が解け、光に目が吸収されていった。意識が地上を離れ遠く宇宙・銀河の果てまで飛んでいった。小さな星になった自分を想像した。
一匹の小さな細胞が、宇宙を漂っている。小さな小さな生命鼓動が集まり、大きなエネルギーとして渦巻き、熱、光、音、波、元素となっていく。
一条の元素が水と土を造り、新たなサイクルで海を育み、大地を築き、生命を立ち上げた。海に地上に草木が揺らぎ、青緑の海に動く生命が漂う。海の生き物が地上に這い上がり、足を持ち移動していく。
移動し始めた生命はより巨大化した。空を飛ぶのもいた。
だが、大地の大爆発に巨大生命は死滅し、より小さな生き物が地上を歩き回り、より小さな鳥がが空を飛び、より小さな魚が海を泳いでいった。
ある日、四つの足が二つ足になり、前足は手となり、手は傍にある樹木、石を掴み、それを遠くに投げた。投げられた石が岩山に当たり、火花が散り、樹木を燃やした。空に光った雷が落ち、地上の樹木を燃やし火を作ったのをまねたのである。
火を捕まえた動物は「自然」を捕まえたのであった。火を捕まえた動物・人間は自然に置き去りにされたので「自然」を作ったのだった。
火を捕まえた動物は同時に「神」も捕まえた。
「神」を創り出した人間は「自然」をも捕まえたのだと思ったが、本当は自然の中にある貧しい「人間」が作り出した「自然」を「神」と勘違いしただけのことだった。
ピノキオ鳥は僕の脳にそのような映像を一瞬のうちに与えた。ピノキオ鳥と僕は同じ運命だと思った。鳥はピノキオで、僕もまたピノキオで、ピノキオは僕であり、鳥であり人間だったのだと。
「やあ、ありがとう。ピノキオ鳥君。君の大変さがわかったよ。でも、ぼくは当分人間でいるから、君もせっかく鳥になったのだから、鳥でいることを楽しんだらどうだい。青空を自由に飛べるのは今だけだよ。鳥でも君は気どり屋(木鳥)でいいじゃないか」
僕は、自分が鳥でも人間でも、ピノキオでもなんでもいいが、何にでもなれるなら、今は人間でもいいなと思った。そのうち、いやでも鳥になり、ピノキオになるだろうと思ったからだった。
今は人間でいることも悪くないと思った。
僕は、ピノキオ鳥に「さようなら」と挨拶して背を向けた。
「明日からの人間生活もそう悪くはないだろう」と僕は思った。
僕は背中にピノキオ鳥の優しい視線と、熱い太陽の光を感じた。
僕はは前に歩き出した。目の前には漁港の新鮮な海鮮料理が食べられる「漁港食堂」が見えた。
楽園
南の海にはぽっかりと小さな島が数個並んでいた。
真っ青な空に黄色い太陽が輝き、大きな緑の樹木が生い茂り、真っ赤な花が咲き誇る地上の楽園。
手をのばせば身近に黄色の食べ物があふれ、川には手でつかむことのできる程の無数の銀色の魚が泳いでいた。
海からは何にでも使える色とりどりの漂流物が流れ着き、簡単にカラフルな家を造ることができた。多彩な色、赤、青、黄色、緑の魚が釣れた。
透明な雨は雨水となって池に貯められ、黄金の雷の光は火となり夜を照らし魚を焼いた。
人々は苦労もせずに一日の生活をバラ色に送ることができるはずだった。
そう、南の島は「楽園」と呼ばれていた。
その日が来るまでは。
人々は果樹酒を飲み、大漁の魚を食べ、樹木の太鼓を叩き、大地をけり踊り明かした。
その日が来るまでは
朝になれば東から大きな太陽が昇り、昼には頭上に太陽が燦燦と輝き、夕方になれば西の海に沈む太陽を眺め、夜になると人々は満天の星空を仰ぎみることができた。
その日がくるまでは。
・・・
島一番の漁師サブローは大きな魚を釣ろうと巨大な釣り針と、大きな釣竿を担いで漁に出た。三日三晩船のエンジンを回し続け、遠洋に出た。いくつものリーフを超え、誰も行ったこともない北の海を目指した。
何千もの荒波を乗り越えてたどり着いた海は、今まで見たこともない真っ黒い色だった。海は深く、そこには何か巨大な魚がいそうな気がした。サブローは船のエンジンを止め、錨を下した。
船に設置した巨大な釣り針にはマグロの切り身が仕掛けられ、サブローは慎重に釣糸を下した。
頭上には燦燦と輝く太陽が船の行動を見守っていた。サブローの額からは汗が滝のように流れた。波しぶきが船にあたり大きな音をあげ、船が少し揺れた。
待つこと三時間、空は雲一つない晴天である。海鳥が海すれすれに飛んでいく。サブローの全身は汗だらけである。何もしなくでも太陽に照らされているだけで汗がでる。風は南から吹き心地よい。
それから、数分後。釣竿がピックと少し動いた。サブローは気づかない。目をつぶって瞑想でもしているようだ。止水明鏡。禅的世界に心酔している。
ぐらっと船が揺れた。大きく釣竿に引き寄せられるように船は少し海に沈んだ。サブローはカット目を開き、素早く釣竿に手をかけた。リールがスルスルと廻って釣り糸が持っていかれる、相当なスピードでリールの留め金が廻っている。
「大きな魚だ」サブローはゾクゾクした。
今までにない手ごたえを感じた。
サブローは釣竿を握りしめて釣糸の行方を追う。釣糸は右左に揺れ、釣竿先もそれにつれ大きく左右に揺れ半楕円のようにしなる。サブローの手が震える。釣竿の位置が定まらない。
大きな力に引きずられ釣竿ごともっていかれそうだ。サブローはなんとかふんばって腰をおろし、釣竿を十分安定させて力強く引き寄せ、釣糸を自由にする。さらに釣糸は猛スピードでのび釣竿をしならせる。
「魚が疲れるのを待とう。釣糸が切れない限り釣針ははずれないだろう」糸の引き具合から、釣針は確実に獲物に食らいついている。サブローは「これは自分と魚の根気比べだ」真っ青な空の太陽を見上げた。
さらに、一時間が過ぎた。あれほど大きく暴れまわった大魚が、今は静かになっている。だが、疲れたようには見えない。たまに、釣糸が左右に四五mほど揺れるのだが、魚の姿は見えず、背びれの気配さえしない。波を切る釣糸に沿った太いしぶきが縦に吹き上がる。
突然、大きく釣糸が引かれた。巨大な力に引きずられるように波が高く上がり、船が引き寄せられ大きく沈み、釣糸がプツリと切れた。その勢いで船が波に打ち上げられ、どばっと海水が船に流れ込んだ。
サブローは頭上から海水をかぶり、一瞬息が止まった。サブローは海におぼれたよな錯覚を覚え、慌てて後ろに飛びのいた。
あっというまに、釣糸は海の中に消えていった。サブローはその行方を見送るだけで、一言も発することもできず、呆然と立ち尽くすだけたった。
一時間ほど、サブローは呆けたように船上に座り込んでいた。
逃した魚は大きかった。本当に大きかった。サブローの目の前を陽炎のように巨大魚影が飛び去っていった。手でつかむこともできない大きな陽炎は海の匂い、塩の匂いだけを残して消えていった。
サブローは諦めた。南へ向けて船のエンジンを全快させた。さらに、何千もの荒波を乗り越え、黒い海を越えてエメラルドグリーンの海を目指して南下していった。
見覚えのあるリーフに近づいた。だが、リーフの中には島はなかった。三つあるはずの島影はなかった。あるのは、最も高い山に建てられていたカラフルな教会堂だけだった。その周辺には、打倒された樹木が浮かんでいるばかりだった。島人はいなかった。巨大津波に飲み込まれた後の残骸が見えるだけだった。
しばらく周りを凝視していると、遠くのほうに、今まで見たこともない小さな島が見えた。なんとそこに、全ての島人が流れついて一息ついているのだった。島人はみな海の民であったので、海に飲み込まれても溺れた者はいなかった。
島人は、新しい島で新しい生活を始めるのだった。
・・・
サブローは知らなかった。島と思っていたのは実は巨大怪魚アトランチスの背中のギザギザコブだったのだ。大海洋の海の中には大陸に等しいほどの古代恐竜性怪魚が生息していたのだ。その恐竜はあまりに大きすぎて海を泳ぎまわることが出来ず、じっと動かず、たまに細長い首についた頭部の口を開けるだけで餌を食べていたのである。それで、何千年も生きていたのだ。
あの伝説の「アトランチス大陸」は、その巨大怪魚の胴体がまるごと浮かんでいたのが、長い長い年月にうちに、その上に帝国を建設したのだった。その胴体部分は重すぎて沈んでしまった。
背びれのギザギザだけが浮かんで、島々として残ったのだった。
そのアトランチスの歯には小さな針が引っかかっている。巨大怪魚アトランチスは、たまにその小さな針で歯が痛み首を振るが、そのため高波が立ち、島ではそれをツナミ(釣波)と言っている。
さらに、長い年月がたった。
今では島の数が増えている。その島の上には大陸からの火山灰が飛んできて台地を造り樹木が生え、川が出来、緑豊かな島に変貌した。
リーフに囲まれた海にはカラフルな魚があつまり、島はまた豊かな島になっていった。
「いつの日にか又、第二のサブローが現れるかもしれない。その日が来たら、『アトランチスの謎』は解明されるだろうか?」
・・・
・・・
「あっつ、天の声が聞こえた」と思ったらソクラテスは目が覚めた。
窓からはまぶしい光が目にあたっている。体中に汗をかいている。ソクラテスは起き上がり窓の外を見た。そこは鉄条網で囲まれ樹木が生い茂っていた。真正面に真っ赤な花が咲いていた。
ソクラテスは獄舎の中で夢をみていたのだった。
灯台島の謎 2
2
「財宝箱」は跡形もなく消えていた。
誰があんな重い箱を持っていったのだろうか。Sは朝早く起き、「財宝箱」がなくなったと大騒ぎした。だが、二人は何食わぬ顔でまるで何も無かったかのように、「それがとうした」と平気な顔をしているフリをしていた。
Sはピンときた。「俺が寝ている間に、二人でどこかに運んだんだな」と半分寝ぼけた頭をフル回転させて考えた。
MはSの動揺を察して言う。「海の漂流物は、会社の規則で裏の倉庫に保管することになっている。お前が起きる前に、俺たち二人で箱は裏の倉庫に持っていったよ。何か、財宝でも入っていそうだと、俺たちが妙な気をおこさないよう、隠したのさ」
Kも情けない顔で、まるでSに対し何か悪いことをしたかのように言う。「君の疑う気持ちは分かるが、チャンと手続き上の行動をしたんだ。一人だけのけ者にされたと思うな。あまり、気にするなよ」
Sは納得はしないが、先輩二人に逆らうことはできないと感じ、信じるしかないと思った。二人が言うことが本当かどうかは、後で、倉庫を見ればわかることだ。SはKに頷いた。
Sはいつものように島の周りを点検した。今日はなんの変化もなかった。風もおだやかで、春のあたたかい一日になりそうだ。
遠くをみると、雲一つない青空に海鳥が飛び交い、波が静かにうねっている。どこにも船らしきものは見えなかった。昨日のボートの漂流は偶然のものだろう。どこか近くで船が沈没したのかもしれない。Sはボートの箱のことを思い浮かべ、それが、どこから来たのか推理する。
本島からボートで船出したとは思えない。ましてや、あんな重い箱を積んでボートを漕いで海を渡るなんで無謀だ。もっと大きな船で運んでいたのを、ボートに乗せ換えてどこかに持っていこうとしてボードが遭難したのか、それとも、船自体が遭難して、ボートに箱を積み込んでいるうちに船が沈没してしまったのだろうか。そのどちらも人がいないとすると、ボートに箱を積み込んだとたん船が海に飲み込まれたのだろうか。
その船はどんな船だったのだろう。どこか近くに秘密の島ががあって、昔の海賊が隠していた財宝を発見したのだろうか。
Sはいろいろ考えるが、あまりにも突拍子もない空想物語に、自分でもあきれてしまっている。今時、そんな時代でもあるまい。あれは、ただの「財宝箱」もどきのフェイクに違いない。だれかが、冗談で海賊ごっこでもして流したのだろう。Sは無理に自己納得して安心したい気持ちであった。
夜になると少し冷える季節である。気温は低かったが、風はなかった。
漂流物が島にたどり着いて三日が過ぎた。
三日目の真夜中である。
風にあおられたのでない船が、それもかなり大きな船が、小さな島の周りを何度も何度も周回している。だが、灯台の三人は寝ているのだろう、気づかない。大型船は静かに島を3週した後、灯台のよく見える近海で無線連絡もせず待機している。大型船は、何かを待っているようだ。
船の中には数人の人影が見える。何人かが島の灯台の方に目を向けて、どうしたものかと手を大きく振って言い合っているようだ。そのうちの一人は、手に望遠鏡をもって灯台をじっと観察している。
船は静かに停泊所に近づく。船は音もなく錨を下し、三人の大男が船から降りてきた。真夜中の三時ごろである。時、あたかも草木も眠る丑三つ時、人も寝るが、盗人は稼ぎ時である。時間は人それぞれに使い道があり、寝る時間も人それぞれである。
三人の大男は、灯台までの道のりを夜の家業のように静かに、確実に歩いていく。灯台への道は一本だけである。月だけが、彼ら三人の大舞台を迎えるように照らすが、無観客の客席は夜の寒気が鎮める。
灯台のライトは、夜空の遠くの海を照らしている。灯台の下には、知るべくもない人影が三つ、大きく月夜に照らされている。影絵のように長く伸びた影は、無音の月音に小さく震える。
三人が音もなく訪れたのは、お届け物のためではなかった。
灯台島の悲劇
1
数十年前の話である。
その灯台は離れ島にあった。
本島から船で2時間、周辺1㎞の小さな無人島は、海峡が激流のため航海安全用に灯台が設置されていた。3名の灯台守が3か月分の食料、燃料などを積み込み灯台を管理・運営していた。
3月から3か月間、春の季節の灯台守の3人は、KとMとSだった。
Kは灯台守職25年のベテランで三名一組の主任である。Mは灯台守職10年の中堅で、おもに技術職である。Sは灯台守職1年目の若手で、記録その他の事務職を受け持っている。
三名は官舎の中で寝泊まり自活しながら、これからの3か月間、灯台の点灯運営を行っていくのだ。
朝は早くから起き定期点検を行い、灯台に昇り照明レンズ(ライト)を磨き、回転軸の作動を確認し夜の点灯を確実なものにするのだ。電機は自家発電であり、モーターの起動で夕方になるとライトがつき、明け方になるとライトを消す。夜は航海安全のため、どんなことがあってもライトを照らし続けなければならない。いざという時は、一日中レンズの番をしなければならない夜もある。
官舎の中にはキッチンがあり、三名分それぞれの小さな個室の寝室があり、キッチンにつながる事務室でそれぞれの職務を行う。電話はなく、電波の通信機で本島や航海上の船と通信していた。
三名が赴任した3日目の夜は嵐が吹きすさぶった。春の嵐だろう、かなりの風で海は荒れていた。三名は眠れぬ夜に荒れる波音を聞きながら朝をむかえた。
翌朝三名は、嵐の後の灯台の点検のため島の周辺を見回った。灯台の周りには、風に吹きつけられて方向を見失った海鳥が、ライトに引き寄せられ、灯台にぶつかってしまったのだろう、かなりの数が死骸となって散らばっていた。
三名は、鳥の死骸を拾い袋に詰め、近くの土地に埋めた。その後、何か異変がないか島の周辺を見回した。Sが、島の北側の絶壁の下の小さな入り江に、ボートが岩礁にせき止められて漂っているのを見つけた。
その船には、かなり大きな木箱が積まれているが、人の気配はない。若いSが、ロープを体に括り付け崖下に降りて調べることになった。ボートの周辺を探索するが誰もいない。木箱を見ると頑丈そうで、錠前カギでしっかり施錠されていた。
動かしてみるとかなり重く、一人では担げそうもない。Sは上の二人に合図して、木箱をロープで縛って持ち上げることにした。
二人はどうにかしてロープを手繰り寄せ、木箱を崖上に持ち上げることができた。Sもロープで崖上にあがり三人で木箱を宿舎に運んだ。三人でやっと運べるほどの重さだった。
三人は木箱をどうしようかと思案していたが、主任Kの言葉で中を見ることを辞めた。
「これは、何か訳がありそうだ。遭難した船からの漂流物かもしれない。本島に帰って会社の連中に渡した方が安全だ。危険なものかもしれないから、このままにして、次の交代の船で運ぼう」
MとSは好奇心に駆られ中を見たかったのだが、ボスの言葉に頷くしかなかった。漂流物はまず、本社に報告するのが筋だが、持って帰るとの結論に誰も報告しようと言い出すものはいなかった。なにか、きな臭い感じがするので三名は黙っているのだろう。
古びた木箱は、四隅が頑丈な鉄枠で保護され、さらにところどころ金具で固定されていて、まるで海賊映画に出る「財宝箱」にように見えた。中には金の延べ棒が何十枚も入ってそうである。
数億円の金塊!
一瞬、三名の脳裏に同じ映像が浮かんだ。
だが、三名はそれぞれの思惑を胸に秘め、何事もなかったように自分の職務に専念するのだった。自分のいつもの仕事をするのだが、なぜかつい目が木箱の方に向いてしまう。
夜になって、三人は自分たちの寝室で寝た。木箱が気になってなかなか寝付けない。自分の以外の誰かが、抜け駆けして木箱を開けてしまうかもしれない、寝ているうちに中身をどこかに隠すかもしれない、と落ち着いて寝ていられない。夜中にそっと起きて、木箱の存在を確かめては安心して寝床に就くのだった。
三名は、昨日に続く心の嵐に惑わされ、眠れぬ夜を過ごした。
・・・
Kは結婚していて、妻と高校生の娘と中学生の息子がいる。これから子供たちの進学を考えると、大分の教育費が必要であり、数年前に建てたマイホームのローンもかなり残っている。妻はパートの仕事をしているがそれほどの収入にはなっていない。Kはいつも、これからの生活に不安を感じている。
Mは妻と生まれたばかりの小さな息子がいる。妻が子育てに夢中になって、自分のことを構わなくなってきた。気晴らしに始めたパチンコにはまってかなりの借金をしてしまっている。パチンコのことは妻には内緒であり、マイホームをつくるための積立金を少しずつ借金の返済に充てている。表面上、生活の不便さには表れないが、そのうち生活がパンクするのは目に見えている。Kは、何としても金が欲しいと思っている。
Sは大学を卒業して、運よくこの仕事につけたのだが、家が貧しかったので親の援助がなく、大学の学費、奨学金など借りられるだけ借り、バイトで自活してきた。借金がかなりあり、他の同じ年代の若者が遊び廻っているのを見ると羨ましく感じる。Sは、金の必要性をいつも考えていていた。
・・・
眠れぬ夜が明けた。
事務所には朝日が差し込んでいる。その朝日の先にある部屋の隅にあるべき木箱はどこにもなかった。
戻り橋
隣町M町に行くのには、その橋を渡る必要があった。
その橋はそれほど長くないが、車が一台しか通れない横幅の小さな橋だった。だれもが、昼間でもライトを照らし、軽くクラクションを鳴らし向こう側に合図を送り、車の鉢合わせを防ぐようにしていた。
一台の車が橋を渡って行った。
その車は橋を渡るときの礼儀を知っていなかったのだろう。昼間であったのでヘッドライトを点けず、向こう側からの車も来ないだろうと、クラクションも鳴らさず橋を渡って行った。
橋の真ん中あたりまで来たとき、一台の車が止まっているのに出会った。車を運転していた男はビックリした。前方を見ながら反対側からは車が来る気配もないと判断し、一気に通り抜けようとスピードをあげて車を走らせていたので、車が目の前に浮かび上がって来たのに驚いたのである。男は急ブレーキをかけて車を止めた。
橋の真ん中に黒くて、車の塊のような影が見えたのだ。車の方向は分からない。おそらく、同じ方向に向かっている車だろうと、男は思った。
男はクラクションを鳴らし、ヘッドライトを点滅させて合図を送った。黒い塊からは何の反応もない。男は車のブレーキをはずし、ゆっくり黒い塊に近づいた。よく見ると自分の車と同じ種類の車種で、色形が同じである。
男の車が動き出すと、前の車も少しずつ同じスピードで走り出した。男はホッとしたが、前の車のあまりにも遅いスピードにイライラしてきた。
男は、クラクションを大きく鳴らし、さらに、ヘッドライトを点滅させ前の車にスピードを速めるよう促した。だが、前の車は我関せずと、ノロノロ運転を続けるばかりである。狭い道幅で、追い越すわけにもいかず、男はイライラしながら運転していた。
いつのまにか後ろの方から、かなりのスピードで近づいてくる車があった。その車も男と同じ車種で色形も一緒だった。
男はあわてて、車のスピードを速めようとしたが、前には車がある、後ろからは車がかなりのスピードで近づいてくる。男は、加速ペダルと思いきり踏み込んで、前に進んだ。男の車のスピードをあげれば、前の車も気づいて、スピードをあげるだろうと思った。
男の車が突然急発進し、前の車とぶつかったと思った瞬間、同時に後ろからの激突音が男の耳に聞こえた。
ガシャ!
と音が橋上に響き渡ったと思ったが、何の音も聞こえなかった。男の前に車はなかった。後ろの車の気配も消え、男の車だけが橋の上を走っていた。
夢を見ていたのだろうか。男は首を傾げ、前方を凝視し、バックミラーで後方を確認したが、どこにも車の塊はない。ホットひと安心、男は車を止めて下りてみた。
男は、車両の前と後ろを確認するが、衝突した跡はない。前後には車もない。「俺は居眠り運転をして夢の中で事故にあっていたのだろう」男は妙な納得をして事態を理解しようとした。
男は車に乗り直し、そのまま橋を渡り切った。
その日から、男には不思議な出来事が起こるのだった。
いちおう用事をすませ、男はまた、橋を渡って自分のN町に帰って来た。その時男は、車には妻と一人娘が同乗していた。車の衝突事件(?)にも二人は怯えることなく普段通りの対応だった。
男と家族の生活は何事もなかったように続いている。男は朝早く会社に出勤し、妻は子供が学校に行くと、近くのスーパーでパートの仕事を午後5時まで働いるらしい。
近くに住んでいる男の同僚は、男の行動の異変に気付いた。男は三年前から一人住まいだったはずなのに、最近なぜか、車の中にしばしば人影らしきものがみえることがあった。
三年前、男の妻と娘はあの橋の上の交通事故で死んだ。その事故は橋の上での三重衝突の事故で、男の車は間に挟まれ大破したが、男だけはかろうじてハンドルを切った分重傷であったが、命に別状はなかった。
妻と娘は即死だった。あれから三年たっているはずだ。
事故当時は男も動揺して車を乗ることができなかったが、年月が経つと自然に車にも乗れるようななったが、二度とあの橋を渡ることはなかった。
男は隣町にはわざわざ遠まわりして、山を越えて行くようにしていたのだ。それが、三年目のある日、男は橋を車で渡った。
そして、帰りに男は何かを乗せて帰って来たのだ。
橋の名前はかつては「戻り橋」とも言われていたらしい。
同僚は今、どのように男と話せばいいのか悩んでいる。男の表情には、三年前の本来の明るい気質が溢れている。
フライドフィッシュ定食
ある小さな島のお話です。
南の小さな村に小さな港があった。数人の漁民が小さな船で遠くの海まで漁をすることがあった。太平洋の赤道近くの海にまで魚を釣りに出かけるのだった。
真夏の天気のいい日の出来事である。あまりの暑さに水温も上昇し、海上温度も50度にもなっていた。
釣り上げた魚が海から釣り上げた瞬間、太陽熱に焼かれ、まるで煮魚になったように釣り上げられたのだ。
漁師はビックリして、その魚をそのまま海に戻そうとした。でも、もうお昼時期なので、昼飯にでも食おうかとそのまま食べてみると、ほんとに美味しい、塩煮魚の味がして、骨のまわりまで食べられるほどであった。
「こりゃ簡単だ、さっそく煮魚定食いただき!」と漁師は次々に釣り上げた魚を食した。
でも、困ったことになった。釣り上げた魚がすべて煮魚でしか釣れないとすると、生のまま港にもっていくこともできず、冷凍保存もできない。今、即食べる以外に何のてだてもないと、漁師は大変困ってしまった。
その夏はずっと、島近海では平均30度以上の暑さだった。赤道近くは50度以上が続いていた。
村一番の知恵者、チブルジョウトーに相談すると、長いアート―トーウートウトーの果て、次のよううなハンジが出た。
「これは、海の神様が魚は生で食べてはいけないと言っているのだ。これからは、生の魚を食べず、必ず、焼くか、煮るか、蒸して食べるようにしよう」
このハンジ(裁定)から村人は、釣った魚をあらためて焼いて、煮て、蒸したものを出荷した。
するとどうだろう。村で出荷した魚が、この世にない美味しい味で色が赤いので「カラーフィッシュ」として世界中から賞賛の声が聞こえてきた。
特にから揚げ魚にするため、海水50度で煮あげされた魚をもう一度180度以上の高温でゆっくり揚げると、骨までがカリカリ・ジュワジュワー、とろけるような味色で、なぜか高級松坂牛の味がするのであった。骨から出る骨汁がたまらなくとろけるのだった。
村の周辺には、定食屋ができ、それぞれの店で魚料理を出すとどこも繁盛して、村は「漁村兼食の名店村」として世界中から観光客が殺到した。
村人が釣る魚は、なぜか、太平洋近くに行かなくても近海で釣れるようになった。村人の一生懸命さに魚がついてきたのだろうか。
太平洋上での海上高温50度ではなく、この小さな島周辺の海では30度だけど「カラーフィッシュ」は釣り上げられている。
村の釣り人にツイてきているのだ。
その「カラーフィッシュ」は沖縄では「グルクン」と呼ばれている魚ではないかと思われる。「グルクン」は通称「タカサゴ」と呼ばれている。
ためしに、筆者は一度煮つけしたグルクンをもう一度180度近くの油でゆっくり揚げてみた。すると、本当に美味しいグルクンのから揚げが出来上がった。お頭から尻尾まで食べられ、骨も残さず全て食べてしまった。
写真は、その証拠にお頭だけを残して記念に撮ったものである。
骨までカリカリ食べられたが、骨汁じゅわーとはいかなかった。やはり「カラーフィッシュ」とは違うかもしれない。
いつの日にか「カラーフィッシュ」の骨までカリカリ・ジュワジュワーの味見をしたいものである。
十字路交差点事件
ー2019年10月1日のことである。
人通りの少ない交差点である。
「車の種類はわかっているのか。」
「まだ、分かっていません。」
すべての車が動き出した。
「どの車に乗っているのだろうか。」
「あの車が怪しいんじゃないか。」
「そうだ。あの車の追跡を依頼しよう。」ー
「ユーチュブ映像『十字路交差点事件』より」
僕はあるユーチュブの映像で気になるものを見つけた。
僕が住んでいる街にそっくりな交差点の映像であった。2019年10月1日、僕はちょうどこの映像が写された時間にそこにいた。映像を見ると左側の男女ペアが写っているのが見えるだろう。その二人は僕と知り合いの女性である。
僕は、気づかないうちに写されたこの映像の記憶がある。あの時、目の前を通った白い車の中で女の人が何か騒いでいたような気がしたのだ。その時は、なにか、運転手と喧嘩でもしたのではないかと思っていたのだが、女の人の顔がなにかこちら側に訴えているような身振りに見えたのが不思議に記憶に残っている。
運転手でもなく、後部座席の隣に座っている男に向かってでもなく、外の僕たちに向かって何か言いたそうな表情で叫んでいたのだ。
僕と彼女は顔を見合わせて、誰か互いの知り合いだったのだろうかと尋ねあったが、お互い知らない人だった。その女性の悲痛な表情が、いま思えば「助けて!」と叫んでいたように感じられた。さらに、記憶の片隅には、窓ガラスに差し伸べた手はロープで縛られていたように覚えている。
僕は、このユーチュブがその時の出来事を「事件」としているのに驚き、困惑し長いこと悩み続けた。
あの時の女性が何か「事件」に会い、僕たちに助けを求めていたのだとしたら、僕たちはすばやく警察に通報すべきではなかっただろうか。彼女のその後が心配である。
今ではもう手遅れかもしれない。僕は、後悔の念でいっぱいだった。
僕は、半分の当事者として、この謎めいた出来事を自分で解決しようと思った。手掛かりは、ユーチュブの映像だけである。
そのユーチューブ映像をよくみると、近くのマンションから撮影されていることが分かる。僕がよく通る交差点から北側にあるマンション風建物は何件があるが、そのうちの一つだろう。
僕は、そのマンションにどうにか入り込めないだろうかと考えた。入り口がオートロック式であるが、数人の入居者は鍵なしで入っていく。多分、決まった暗唱番号があるのだろう。
僕は何度か、郵便物を入れるふりをして入居者の行動の盗み見を繰り返した。何度も盗み見しているうちに、その暗唱番号にあたりを付けた。
数回、暗証番号を繰り返すと、一つがヒットして自動ドアが開いた。しめたと思い、僕はすばやく中に入っていった。
映像からすると高さ的には高い方だろうと推測して、10階のエレベータボタンを押した。
10階にたどり着いてエレベータから降りると、右側に長い廊下があり、7つの部屋が横一列に並んでいた。奥の南側の突き当りの部屋から交差点側が見えるだろうと、107号室に向かった。
廊下の突き当りにあるその部屋は、廊下側からは入り口のドアが左側にあり、右側は胸までの手すりが廊下を囲っており、外が見渡せる。107号室は、マンションの外、交差点側から見ると、部屋の周辺がベランダに囲まれていた。
107号室入り口付近の突き当りは、壁を越えればそのまま107号室のベランダに通じるはずだ。
僕は、危険を顧みず、107号室の呼び鈴を押した。誰も出てこない。107号室の住人は、外出中なのだろう。
僕は、今がチャンスだと、廊下側から必死の態勢で手すりを乗り越え、107号室のベランダに飛び降りた。
幸い、107号室には人の気配はない。僕はベランダ伝いに、手すりの壁に隠れて南側の窓の方に移動した。そこから、交差点の方を覗くと、まさしく、ユーチュブの映像通りの風景が見えた。
僕は素早く高さを確認して、南の窓側から写したであろう、映像のポジションでデジカメで写真を写した。
帰りも、必死の態勢でコンクリート建物の支柱をよじ登り、廊下側に飛び降りた。人に見られていないのを確認して、さりげなく廊下を歩きエレベータで降りてマンションの外にでた。
添付した写真はその時写した写真である。ユーチュブ映像のアングルと同じであり、ユーチュブ映像は、まさしくここから写されたものであることが証明された。
僕は今日、107号室の住人にこの写真を添付した手紙を郵便ポストに入れた。どんな反応が来るか楽しみである。
僕はいま、その反応によってこちらの行動を決めようと考えている。
金豚が空を飛んだ 3
ー社会にまだインターネットが普及しない時代のことだよ。ワープロもなく誰もが手書きで文字を書き、家庭に一台の黒電話の時代だねー
ーこの島は特に遅れていた。戦争が終わて30年近く異民族に支配され、やっとJ国に吸収されて2年後のころのことだよ。
J国へのパスポート携帯が必要なくなり、自由に往来できるようになった。若者はだれでもJ国の大都会を目指して行った。とくに首都のTエリアへの移動はまるで民族の大移動のようだった。
でも、わたしは行かなかった。地元の高校を卒業して1年考えて、逆に父の生まれ育った南の小さな島K村に行くことに決めたのだ。
わたしの父の姉、つまりは叔母の家は農家で、サトウキビ業のほかかに30匹の豚を小さな養豚場で飼育していた。まあ、生き物を育てるのは大変だったよ。小さな養豚場だけど、一匹一匹大切な豚だからね。義叔父は丹精に豚を飼育していた。わたしもその手伝いのため、K市から小さな島K村に移り住んだ。
わたしの生まれ育った街K市は、金網に囲まれた巨大な滑走路を敷き詰めた鋼鉄都市の一部であり、鋼鉄都市に働く巨人族に支配されて発展した街だった。
鋼鉄都市の巨人族は世界中の戦争を請け負って儲け、その巨人族の遊興を担おうと、K市はO諸島周辺の多くの地域から出稼ぎに来る人々であふれていた。人々は、昼間は鋼鉄都市の大工場で働き戦争機械を造り、夜になるとネオンが輝く風俗店の中、昼間の戦争機械の爆音に負けないほどの轟音で巨人たちを歓待していた。
わたしの家もそんな巨人族の下請けをして生活していたのだ。
そんな街にいやけがさして、若者は平和国家J国のTエリアなどに移動するのだったが、わたしは、そんな平和とは名ばかりのJ国には見向きもせず緑の島にあこがれたのだった。
K村は四方を海に囲まれた面積60㎞㎡の小さな島で、人口一万人弱の水に恵まれ農業が盛んな地域だった。
叔父の豚舎はかなり老朽化していた。豚舎は30匹の豚がいるわりに小さく、暗く、柵に囲まれて窮屈そうにしている豚たちが可哀そうに思えた。巨人族に支配され、小さな島に閉じ込められているわたしち自身を見ている気がしだんだ。
もっとのびのびと育てられないかと叔父に相談するが、昔からの養豚業になれている叔父にとってはもやはその作業を変える気力も財力もなかった。
5、6年すると、わたしは独立して、叔父から数頭の豚を分けてもらった。父が祖父から遺産としてもらった農地が、父の離島で今はだれも使わず荒れ地となっているのを譲り受け、放牧地として改良し、豚の飼育場とした。
豚はね、みんなが考えような愚鈍な動物ではないのだよ。
豚は、好奇心がつよく土の中を探ってキノコなどを探し出し、餌を見つけるのが得意だ。鏡に映った自分を認識でき、30匹ほどの仲間を認識できる、社会的な動物なのだよ。
檻の外に出ると一日の60%以上は餌を探し、穴を掘ったり、散歩したりして動き回っている。立ちっぱなしが苦手なのだよ。まあ、イノシシの親戚だから当然だね。
20種類の鳴き声でコミュケーションをとり、オス豚はメス豚の気を引くため歌を歌うときもあるんだ。
寝るところとトイレを区別できる。
母親豚は安全な出産のために10キロメートルも歩き回り、10時間かけて巣をつくる。授乳のときは独特の声で子豚を集める。
水分補給を求め沼地を好み、泥水で体温を調節し、泥遊びで体の雑菌を防御することを知っている。
豚は未来に起こることをを予測でき、チンパンジー並みの知能をもっていると言われているんだ。犬やイルカと同じようなものだ。
そんな豚の習性・能力を考えると、柵に押し込めて、身動きさせず餌だけ与え続けると、ひ弱な豚になるのは目に見えている。それらの豚が病気に弱いのは当たり前で、それを食べる人間にしても病気がちになるだろう。健康な豚は最終的に食肉になるにしても、大切に育てられた安全な肉として、人間が大切に食べるのがいいのではないかと考えたんだ。
これは、人間の勝手な思い込みかもしれないが、家畜として豚は生き、最終的には人間の血肉になり死ぬ。そして、人間も最終的には灰になるか、骨になり炭化するか、地面に埋められ自然土と化していくから結局は同じことだと思う。
個体として生きる長さが違うだけで、生命種としてはどちらが長く生きられるかは分からない。
動物学者のライル・ワトソンは、「豚ほど好奇心旺盛で、新らしい体験に飢え、無我夢中な人類の欲望に応える動物はいない」と言っている。
そう言われると豚を食べるのを躊躇するかもしれないが、それでも、豚は家畜として育てられているので、人類の一部になると思えば自分を大事にすると同じように、大切な食物として日々食べればいいのじゃないかと思う。まあ、食べないという選択枝もあるけどね。
養豚業者だったわたしとしては豚肉を食べて欲しいのだけど、食べるときにそういった豚にたいする認識を持っていて欲しいんだよー
続く
金豚が空を飛んだ 2
酔いもまわってきた僕はなんだかいい気分になっていた。ここは、ほら話が流通する場所である。あるいは、礼儀としてまず自分のほら話を一篇語るべきかなと変な納得をした。
僕は二人に向かってほ次のような話をした。
「ある日のことです。僕は夜中に起きてみると家の外にまばゆい光が溢れているのを見たのです。家族のだれもがまだ寝ているので、その光に気づきません。近所の人々もいつものように静かに寝静まっていました。
ぼくだけが、なぜか、その光に反応して起きだしてしまったのです。外は、光のあたっている部分以外は暗く、まだ夜が明けてない状態でした。だから、その光は太陽の光ではなく、ましてや町の街灯などでもなく、上空から一方的に光が円錐形状に発射されているようでした。
その光の奥に楕円形の円盤のような物体が宙に浮かんでいたのです。その物体は、ヘリコプターのホバリングのように軽く上下しながら、宙に浮かんでいるように見えました。かなり大きく、体育館ぐらいの大きさでした。
ぼくだけが、外に出てその謎の物体を見たのです。僕は驚きながらも、好奇心にかられ何も考えずに、ただその物体の近くに歩いていきました。
いつもは、夜中に吠える犬もその日は静かでした。怯えているのだろうか。ぼくは、自分の恐怖心を犬の気持ちに置き換えて推理していました。
光が明滅し、音もなく軽く振動する物体を見て僕は、あーあっつ、あれがUFOなのだな、と理解しました。いままで映画の中での虚像であったのに、本当にあったのだ、と自然に了解したのです。
その内、その物体はいつのまにか光を消して、音もなくどこかに飛び去って行きました。
ぼくは、その物体の動きを追おうとしたのですが、飛び立つ一瞬の強い光で何も見えなくなり、その光が消えると闇の中には何も残っていませんでした。いつものような夜の風景が残るだけでした。
それが僕のUFO体験です。見ただけですから、体験だといえるのかどうか、また、僕以外にそれを見たという人もいませんので、本物のUFO体験だと言える自信もありません。
それからの僕は、夜中に突然目が覚め、外の夜空を覗く習慣ができました。その時はいつも流星のようにすっと飛び去っていくUFOの軌跡を見つけるのです。なんらかの合図を送っているのだとはわかるのですが、何を伝えようとしているのかいまだに不明です。
そのうち、分かる日が来ると信じています」
話し終えて僕はホッとした。
僕の話に二人はどう思ったのだろうか。酔っ払いのたわごとだと思ったかもしれない。僕としては、「空飛ぶ豚」「豚の鳴き声」に匹敵する話を話し終えたことに満足した。
陶芸家先生は、ニコニコしながら、「いやー、かなり奇妙な体験をしたね。もしかすると、君はいつの日か宇宙人とコンタクトできるかもしれないね」と真顔で言った。
僕は逆にびっくりしてして、間の抜けた返事をした。「まあ、そうですね」と。ついでに「空飛ぶ豚みたいな話ですよね」と余計なことを言ってしまった。
それでも陶芸家先生はニコニコしている。
「それじゃ、わたしも君に負けないくらいの不思議な話をしないといけないね」と陶芸家先生は白くなった口ひげを人差し指でなでながら遠くを見つめて話し出した。
「わたしがまだ二十歳前後のころの話だよ」
(続く)
金豚が空を飛んだ。
『紅の豚』(宮崎駿)の主人公、ポルコ・ロッソは自分の飛行機乗りの経験から言う。
「飛ばねぇ豚はただの豚だ」
だが『不思議の国アリス』では豚が飛ぶことはあり得ないこととして意味づけている。
「わたしにも考える権利はあります」と言うアリス。
「ブタにだって飛ぶ権利があるようにね」と侯爵夫人。
常識的には豚は空を飛ばない。豚を例にするほど豚が空を飛ぶことは絶対にありえない超怪奇現象として位置づけられていることを言いたいのだろう。
豚が空を飛ぶことはあり得ないが、もし、空を飛ぶ豚がいるとしたらどうなる。
「空飛ぶ豚」は特別な豚であり、豚を超えた豚であり、もしかしたら空を飛ぶのだから「神」(聖なる豚)に近いのかもしれない。
そうすると、豚は豚でも神(聖なる豚)に近のだから人間を超えているわけで、そうたやすく「空飛ぶ豚」を見下すことはできない。
人間としては「食えない豚」と言うべきである。
それは沖縄の言葉に「鳴き声以外の豚のすべては食える」という名言があるが、その「豚の鳴き声」に匹敵するのが「空飛ぶ豚」なのかもしれない。
「豚の鳴き声」をだれも食べたことがないように、「空飛ぶ豚」はだれも見ることができない。もし、その「空飛ぶ豚」を見ることがあれば、それは、本当に幸運に恵まれた人だけである
それもさらに金の豚であれば、なおさら、あり得ない出来事の倍掛けあり、同じく「金豚の鳴き声」を食べた人間は宇宙人とのコンタクトに成功した人に匹敵する大変事である。
僕はその「豚の鳴き声」を食べたという人に出会った。
数年前の話である。
僕は牧志の公設市場のゲートの中の奥地にある川沿いを歩いていた。そこは古い建物が何件も立ち並び、まるで闇市のような雰囲気を感じさせる異世界だった。その中に一軒のおんぼろ食堂があった。
赤ちょうちんの並ぶ飲み屋街のような一画の端っこに置き忘れたような、10人も客が入るといっぱいになるほどの小さな食堂だった。店の中には1人のお客さんがカウンターの端っこに座って、酒を飲みながら料理をつまんでいた。
僕は、2つしかない、小さな2人掛けのテーブルの椅子に腰掛けた。ほかにお客さんが来たらカウンターに移ればいい、と一見さんらしく、お馴染みさんのようなカウンターの客とは離れて、端っこの2人用テーブルの椅子に座った。
定番の「沖縄そば」に「ゴーヤーチャンプルー」などの沖縄料理のメニュー表の中になんと、豚料理の欄に「足てぃびち」「ソーキ汁」と並んで「豚の鳴き声」(時価)と書かれていたのだ。
僕は、壁に貼り付けてある色あせたメニュー表を見ながら、なかなか変わったユーモアのある店主がいるものだと半分笑って読み流していた。
この店は豚料理がメインそうだから、僕は「中身汁定食」を注文した。ついでに、酒が飲みたくなって、泡盛も注文した。
「中身汁定食」にはマグロの刺身と揚げ豆腐とお新香などがついていて、なかなか、ボリュームのある定食だった。
ときどき、泡盛のジョッキ杯を飲みながら定食を流し込む。僕はどこかへ行く当てもないので、料理を味わいながらゆっくり食べていた。
水割りの泡盛はそう強くない度数で、飲みやすくいい塩梅の喉心地だった。最初はそう思っていた。しかし、2~3度杯を傾けるうちにかなり酔っている自分に気づいた。
おかしい、この程度の酒で酔うはずがないのにと僕は酒の手を止めて、料理を多く食べようと中身汁に箸をのばした。
「中身汁」は豚の贓物のお吸い物で、豚の内臓、小腸・大腸・胃などを軟らかく煮てシイタケやこんにゃくを入れた鰹汁の優しい食べ物である。肉は相当に煮込んでいて食べやすく、体の中にスーッ入っていった。
刺身も身が厚く、添え物にしてはボリュームがあり、食べ応えがあった。豆腐の味付けも美味しかった。
「中身汁定食」は大満足だった。
しかし、なぜか泡盛の水割りは飲みやすい割には酔いが早い。僕は意識がとぎれとぎれになりながら、今、俺は食堂で定食を食べながら飲んでいるんだな、と自分をまるで他人を見るような感覚で認識していた。
店主はカウンターの客とお喋りをしている。かなりなじみの客らしく、和気あいあいとしゃべっている。
僕は、料理を食べ酒を飲みながら、聞くともなく二人の話を聞いていたが、なんだか、変な話で盛り上がっているような気がした。
会話はとぎれとぎれに聞こえてくる。
「・・・火曜日の夜になるとカエルが飛ん・・・寝ている婆さんのTVリモコンをいじってテレビをみたり、干してあるシーツで遊んだり、犬を追いかけたり・・・翌朝、警察が来て落ちた水辺の葉っぱを調査した・・・、その次の週は豚が空を飛んでさ、何かが始まるわけよ・・・」
と奇々怪々な話をしている。「豚が空を飛んで」のところははっきり聞こえた。
僕には、二人の会話はまるで昨日の出来事をそのまま現場で見てきたかのように話しているように聞こえた。
「はあぁー、ここでは夜になると豚が空を飛ぶわけ?」と酔いと、からんだ思考と、不確かな常識とが感がらがってなんとなくあり得そうだなと不思議に感得した。
僕は、酔いの勢いが勝って、いつもは控えめの性格が、まるでワー(豚)が乗り移ったかのように、ワーンカラワーンカラと豚の鳴き声を発し(胸の内で)、引っ込み思案の自分を押しのけて、そのカウンターのお客の席の隣に移って行った。
僕が近寄って来たのでカウンターの客はビックリして僕の顔をまじと見ていた。そのうち、こいつは酔っ払いだと思ったのだろう、やさしく接してくれた。
僕は名前を名乗り、話の面白さに釣られてしまったと正直に話した。なにがそんなに面白かったのかと聞くので、「空飛ぶ豚」と口にした。すると、その客はニタっと笑みを浮かべ、さも愉快そうにうなずいた。
客の顔をよく見るとビンタに白髪があり、口ひげを生やしなんだか仙人風の陶芸家先生に見えた。
詳しく話を聞くと、それは、昨日、陶芸家先生の孫が持ってきた絵本のお話で、『かようびのよる』という文字の少ない絵だけがある不思議な絵本だとのことだった。
絵本の中で火曜日の夜になるとカエルが出てきて騒ぎ、次の週には豚が空に浮かんでいる絵で、何かが始まりそうな予感で終わるミステリー風の絵本で、大人がめくっても面白いとのことだった。
僕は、その話が本当に起こったのではないか、と話の上手さにまじめに信じて興味深々だったと告白した。
陶芸家先生はさらにロック・ミュージックの「ピンク・フロイド」に空を飛ぶ豚の絵のジャケット(『アニマル』)があると教えてくれた。
すると、店主がそのCDをかけてくれた。なぜか、調理場の端っこにCDプレイヤーがあった。おんぼろ食堂には似合わない音楽が店いっぱいに鳴り響いていく。
かなりいい音響装置である。ロック音が所狭しと端々を飛び交っている。地響さえ感じられる。
店主はCDアルバムのジャケットを見せてくれた。その絵はロンドンの川沿いの発電所の上を豚が飛行船かアドバルーンのように浮かんでいる。不思議な感じがした。食堂の空間が一気にロックライブハウスと化したようだった。僕らはしばし音に酔いしれていた。
).Pigs One The Wing(Part One)
飛ぶ豚・パート1
2.Dogs.
ドッグ
3.Pigs(Three Different Ones)
ピッグ(3種類のタイプ)
4.Sheep
シープ
5.Pigs One The Wing(Part Two)
飛ぶ豚・パート2
新参門の僕は二人と仲良くなって、なんとなく打ち解けた関係になっていたような気がした。
僕は気になっていたメニュー表の「豚の鳴き声」について聞いてみた。ほんとに「豚の鳴き声」料理があるのかと聞いた。
すると店主は困った顔をして言った。
「いや、あれは今は品切れだ。材料がめったに手に入らないから長いこと料理したことがない。作り方も忘れてしまった」という。
僕はなんだ、ただのほら話かと落胆した。
(続く)
明けもどろの花が咲いた
2020年、早朝6時10分。
突然携帯電話のアラームが鳴った。
外はまだ暗い。東の海を臨むと厚い雲がかかっているように見える。初日の出は拝めないだろうと思った。
7時ごろになると分厚い雲が白く輝いてくる。
8時を過ぎるころから雲が隙間をつくり始めた。その隙間からあふれんばかりの太陽の光がもれてくる。
時間遅れの日の出を見た。
雲間から明けもどろの花が咲いている。
古琉球時代の太陽を讃えた神歌(オモロ)が思い浮かぶ。
一 天に鳴響む大主
明けもどろの花の
咲い渡り
あれよ 見れよ
清らやよ
又 地天鳴響む大主
明けもどろの花の
(歌意)
天地に鳴り轟く大主よ。
明けもどろの花が咲き渡っていくようである。
あれ、見ろ。
なんど美しく雄大なことよ。
(『おもろさうし』第十三
うちいではあがるゑとの節 岩波文庫より)
※明けもどろの花
太陽が水平線から昇る瞬間に放射する多彩な光の渦
見えざる壁
増殖するタイル壁が目の前をおう。
Kは唸った。
「俺はタイル張りの壁に閉じ込められていたのか」
・・・
Kは会社に行くためにいつものようにバスに乗った。バスは少し遅れてバス亭に着き、ドアが開いた。KはICカードを読み取り機にピット押しバスに乗り込んだ。バスのドアが閉まった。
やはり、少し遅れてバスはバス停に着いた。
Kは会社への道をいつものように歩いている(少し早歩き)。今日は5分遅れている。でも大丈夫、少し早く歩けば時間内に着ける(だろう)。
いつもはバス停から会社へは真っすぐに行く道順だ。
その道は右側に緑豊かな畑があり、Kの好きな花がすっと鼻をくすぐる。途中の公園には日向ぼっこするネコがいたり、さわやかな微風が朝の緊張した気持ちをほぐしてくれる。
だが、今日は少し遅れたから、真っすぐ歩くとすぐ左に曲がって、また右に曲がって、さらに左に曲がり人家の多い住宅街を通り抜けて会社に行く。
左曲がりの角の家の犬はいつもウルさい。人が通るたびに吠える。馬鹿犬だから、住人もおかしな人間だろうとKは考える。会ったことはないが、犬の管理もできない気の利かない人間に違いない。
だから、ここからは行きたくなかったけど、3分だけ早く行けるから仕方がない。
右曲がりの角の家は朝早くからおじいさんが門の前で椅子に座っていて、歩いている人に声を掛ける。返事をしないと怒るのでいやだ。
なにやらKの会社のもと重役だった(らしい)。いやにいばっているので、ついへいこらしてしまう。
今はちょうど8時、それまがり角だ、会うぞ、声をかけられるぞ、いやだいやだと思いながら歩いている。
だが今日は、おじいさんは居なかった。椅子もなかった。
そういえば、さっきの曲がり角にも犬がいなかった。静かで不思議に思っていた。今日は、幸いだ、二つもいいことが続いたのだから、今日一日うまくいくだろう。Kのホホがゆるむ。
次の曲がり角の家は小さな子供たちが朝からうるさく、その子供を叱る若い母親の怒鳴り声が頭に響き憂鬱になる。
でも今日はいやに静かだ。子供たちが病気でもしているのだろうか。ほんとに今日は何かいいことがあるかも知れない。
Kの歩く足も軽くスキップしたくなる程だ。たまに5分遅れるのもいいことがあるものだとKは思った。
Kはホットしながら角地を曲がり切った。
目の前には大きな建物、目指すべき会社が見える。会社の入り口周辺には出勤前の人々が並び、足早に歩いている。いつもの風景だ。少しの異変もない。
Kは少し小走りに歩いた。8時30分の出勤時刻には20分の余裕がある。いつもの通りだ。これで、充分間に合う。朝の早い課長は、少しでも遅れると社員をギョロリと睨む。目が怖い。睨まれたら一日がうっとうしい。
Kは安心した。
ガラス張りの自動ドアの前に立った。いつもはドアがスッと開いて中に入ると閉まる。だが、どうしたのだろう。なかなかドアが開かない。センサーが壊れているのか。隣の自動ドアは普通に開閉しているのにKの前の自動ドアだけが開かない。
Kは自動ドアが壊れたのだろうと思い、隣の自動ドアに移った。すると、後続の出勤者は気にもせず、その開かなかったはずのドアの前に立ち、スッと中に入っていった。
だが、Kの前の自動ドアは閉まったままだ。Kがドアの前に立つと開かず、他の人が立つといつものように開閉する。
どういうことだ。Kは焦った。こんなことがあるのだろうか。この自動ドアは人を選別して開閉するのか。Kの前の自動ドアは閉まったまま、後に列ができた。
しかたなくKはドアから離れた。するとどうだろう。今までうんともすんとも言わなかったドアが自然に開いて人々の出入りに応じで開閉している。
なんで、俺だけが建物の中に入れないのか。Kは焦りよりも恐怖を感じた。俺はこの建物に嫌われている。
昨日までなにも考えず自動ドアの前を通り過ぎていた。目の前のドアが自動ドアで、自動に開閉しているのさえ気にしていなかった。前に立てば自然に開いて、通り過ぎれば自然に閉まる。ただそれだけだった。
それが、どうしたことか。今日は自動ドアは動かず、Kは建物の外に残されたままだ。
Kは手動の開閉ドアの方に移動した。手でドアを開けようとするが開かない。ガラス越しに中を見るが、鍵がかかっているようには見えない。
Kはもとの自動ドアの方に移動した。
他の出勤者と同時に入ったらどうだろう。Kはそう考えた。
Kは少し待って端の方に立ち、他の出勤者が自動ドアの前を通り過ぎる瞬間滑り込んだ。Kが入れたと思った瞬間、閉まるドアに弾き飛ばされた。
Kはビックリした。俺は本当に会社の中に入れないのか。
Kはもう一度、開閉式のドアに向かって、中にいる警備員さんに合図するがなかなか気がつかない。無視されているようにもみえる。
しかたなく、Kはどのようにしたら会社に入れるのか、と頭をフル回転させた。
Kの頭に浮かんだのは地下2階の駐車場で、上がる出入り口が早朝は開けっ放しだと思い出した。
Kは走った。出勤者の流れに逆らって地下2階の駐車場に向かった。かなりの距離だ。5分ほど走った。
幸い、そこは業者の出入りのため朝はいつも早めに開いていた。Kは無事会社に入ることができた。自分の職場に急いて階段を上がっていった。
Kの課は2階にあり、オープン式の仕切りなし、ドアなしの部屋なので入るのに心配はなかった。
定刻5分前だった。課長は早朝会議でいない。ラッキー!
だがKの心配は続いている。
ドアのある部屋が全部開けられないとしたらどうする。社長室に呼ばれたらどうしよう。あそこのドアは秘書が開けてはくれないだろうし、入る人がノックして自分で開けて入らなければならない。
社長室に呼ばれたなら、こちらからノックして開けてくれるまで外で待つしかない。変にいばっているように見られるが、恐れ多いという顔をして待てば、そのうち、秘書が開けてくれるだろう。でも、まあ、社長室に呼ばれたことなど一度もないから心配する必要もない。
でも、部長室も開けっ放しじゃない場合もある。それはそれで、その時考えよう。Kは心を落ち着ける。
まず、この建物で、ドアがあり、自分で開け閉めしなければならない部屋には近づかないようにするしかない。
エレベーターも使えないだろう。間違って乗ってしまって、次の人が乗るまで閉じ込められたままなんてみじめだからな。
最上階までは13階あるが何とかなるだろう。
会議の場合の会議室は、かならず誰かがいるだろうから、その人のすぐ後ろで開閉を待って滑り込めばいいか。
Kは会社内の建物の構造を頭に入れ、ドアのある危険地帯をチェックした。
食堂はオープンに入れる。
トイレはどうだろう。
トイレは、小の方は出入りは自由だからOK、大の方は開閉式のドア付きだ。上部が開いているので、イザというときは上から忍び込むしかない。人がいない時に使えばいい。「よじ登り作戦」と名付けよう。
Kの気持ちは少し落ち着いた。
仕事を終えるまでの9時間、何事もないよう願うしかない。
ふとKの頭に浮かんだのは、外回りの場合、会社の車で訪問先に行くのだが、その車のドアは誰が開けるのだろう。
日程表を確認すると、今日は一件外回りの仕事があった。相棒のTと一緒だ。少しはホッとした。なんやかんや言ってTにドアを開けてもらおう、運転も頼もう。
そうだ、静電気が起きて感電したと嘘を言おう。でも下りるときはどうしよう。それもTに開けて貰うしかないが、どう言ったらいいだろう。今のうちに右側の手を包帯巻きにしておこう。火傷したとでも言えばなんとか信じてもらえるだろう。
やはり、下りるときは左手を使うので左手も火傷にしておくか。変な包帯をして顔まで巻いて透明人間のふりをした方がいいかもしれない。
Kは仕事に集中するふりをしてあれこれ考えていた。俺の異変の原因は何だろう。なにか悪いことをしたのだろうか。なにも思いつかない。誰かが先回りして、ドアのある部屋の鍵を閉めているとは考えられない。実際、自動ドアは俺以外の場合は開いて閉まった。俺だけが入れなかった。
原因は不明だが状況は明確だから、対策はシンプルである。
ドアのある部屋をどのように潜り抜けるかだ。ドアを開ける状況に出会わないことが第一だ。ドアを開けなければいけない場合は、誰か近くの人間の助けが必要になる。うまく、言葉巧みにドアを開けさせるしかない。
Kの頭は会社内のドアのある部屋を思い浮かべた。今日一日をクリアできれば、明日以降の難関はその応用で解決できるだろうと予想した。
まるで「迷路ゲーム」のキャラクターのようだ。
Kは自分がゲームの中の果敢な状況をクリアするヒーローになったような錯覚を覚えた。
「よっし!全関門突破だ!」
Kは意気揚々と心の中で奇声を上げた。
すると、隣のTが幽霊でも見ような顔でKを見ている。Kはしまった、心の意気込みが声に出たか、とニタリと笑ってごまかした。
そろそろ、昼休み時間だ。今日は会社内をうろつくのはやめて、業者持ち込みの弁当ですまそう。
Kは注文した弁当を食べた。気疲れしたので椅子にもたれたまま昼寝をした。
午後の仕事が始まる。さっそく、外回りに出ようとすると、お客様の都合でキャンセルになった。幸いだ。一つ悩みが解決した。
「透明人間作戦」は中止だ。
あとは、帰り時間を待つだけだ。今日は一日、机にへばり付いていよう。
すると、全然予期してなかったことが起こった。
なんと、Kは社長室に寄ばれているという。Kは覚えのない用で社長室に行くという。それも、課長も一緒である。まあ、一安心だ。課長がドアを開けるだろうが、閉めるときはどうする。Kは半分だけ心配した。社長室は3階にある。
社長室に行くと、もうすでに大勢の社員がそれぞれ課長同伴で社長室で待っていた。ドアは開いたままだった。入社10年勤続の表彰だとのことだった。
そういえば前に聞いたことがあった。Kは今思い出した。
Kは緊張した面持ちで社長以下お偉いさんの挨拶を聞き、社員それぞれが表彰状を貰った。
一件落着。何もなくドアを素通りした。「社長室事件」完了。
Kは自分の席に戻って一息ついた。社長室に行く途中、色々な部屋があり、それらはドアで閉められていたが、Kは改めて会社は危険区域だらけだと実感した。
Kは行ったことのある部屋もあるが、覗いてみたことさえない部屋もたくさんあることを知って驚いている。Kはこの会社は部屋だらけだったのだと改めて認識した。
ゾーン別に危険地帯のレベルを区分けした方がいいかもしれない。
社長室が、Aレベルでレッドゾーン。秘書の手助け必要地帯。
部長室が、Bレベルでイエローゾーン、トイレはBレベル。誰か近くの人援助必要or壁よじ登り地帯
会議室はCレベルで、ライトイエローゾーン。その他の部屋同じ。誰か援助者必要地帯。
仕切りなし部屋はもちろんDレベルでグリーンゾーン。フリー安全地帯。
エレベーターはAAレベルでヘルゾーン(地獄地帯)だ。乗る人時間待ち地帯。
そうだ、一人で乗る車はAAAレベルでデリンジャラスゾーンだ。
一人では車に乗ることさえできず、乗れたとしても下りられない運命の危険地帯である。一人で1日中車の前で(中で)祈っているしかないだろう。完全NG地帯。知らない人頼り時間帯だ。
「祈りのゾーン」とも名付けよう。
・・・
その後なにもなく一日が過ぎていった。今日はなんと平和な心安らぐ一日だっただろうか。Kは出勤時の大事件も忘れて、ひさかたぶりに何もない一日の大切さを噛み締めた。
そうだ、今日一日(実時間8時間)は何と生きているという充実(会社に入れただけで)を味わうことのできた一日だった。
Kは忘れていたもう一つの心配事を思い出した。
地下のごみ収集室は普段は開いているいるが、たまに閉まっている時がある。少し心配だ。
今日は年に数回ある掃除当番日で、集めたゴミを地下の収集室に持っていかなければならない。Tに頼みたいのだが、Tは午後の外回りが無いと分かった時点で早退していた。
Kは人見知りする方で職場の仲間らから何となく仲間はずれにされていて、今さら頼めるような職場仲間はいない。いつも親切なYさんも今日は休みだった。
午後5時15分になった。退社時間15分前。
金曜日は会社一斉の簡易清掃日だ。週に一度、職員全員で職場内清掃をする。
仕方なく、Kは集めたチリ袋を抱えて地下に降りた。
幸い、ゴミ収集室のドアは開いていた。部屋の中はもうすでに集められたゴミ袋でいっぱいだった。Kは奥の開いている部分にゴミ袋を置いて出ようととした。
するとどうしたのだろう。いつもは遅い時間に清掃員が来てドアを閉めるのだが、今日は早めに来ている。Kは慌てて外に出ようとしたが、間に合わなかった。間一髪、ギイッーとドアが閉められた。
Tは急いで中からドアを叩いたので、清掃員がビックリしてドアを開けてくれた。ドアを閉めただけだ、なんでそんなに大げさに騒ぐのか分からないとの顔をするので、Tは清掃員に鍵を掛けられたのかと心配したと言って取り繕ってごまかした。
ゴミ収集室はBレベルでイエローゾーンだ。
Kは仕事部屋に戻り帰り支度をした。
ほかの仲間はもうすでに帰る準備を終えている。金曜日なので、みんなでどこかに飲みに行こうと誘い合っている。
そうだ今日は「花金」だった。Kを誘う人はいない。Tがいればなんとなく仲間に加わることができるのだが、Kも今日一日はどうなるか心配で飲みに行こうとの気も起らない。
課長も含め早々と社員は出払ってしまった。
Kは少し焦った。会社自体が月一度のノー残業デーなので早めに閉まる。
午後6時には閉まる(だろう)。Kは突然そのことを思い出した。
間違って、退社口が閉められたらたまったものじゃない。Kは速足で出口に向かった。
いつもの出入り口ではなく、遅くまで開いている警備室の近くにある出口に向かった。
それは地下1階にある。Kは階段を使って下りた。階段のドアを閉めようとする警備員を何とか説得して開けさせ階段口に出た。もう、上に行くにはエレベータしか使えない。Kはどうせ出口から出られると思いそのまま階段を下りた。
いつもは開けっ放しのドアは今日は閉まっている。警備室には警備員もいない。退社時間なので周辺を見回っているのだろうか。
Kはいらいらしながら、警備員が戻るのを待っている。あるいは、エレベーターから退社する社員が出てくるかもしれないとそわそわしながら出口で待っていた。
5分、10分、15分経っても誰も降りてこない。警備員も警備室に戻ってこない。
Kはしかたなく、ほかに出口がないか建物の反対側の方向へ歩き出した。西側にも出入り口(開閉式)があり、そこは外来者用駐車場につながっていて、うまくいけば外に出られるはずだ。Kは何度か行ったことのある西側出口に向かった。
長い廊下を一分ほど歩いた。
やはり西側出口は閉まっていた。外に警備員がいるようにも見えない。
Kはもとの警備室側の出口に戻ろうとするが、すぐ横に地下2階西側出口があったのを思い出した。そこは、崖下の団地の方に行ける出口があったはずだ。めったに使ったことはないが、たまに団地側の一般市民が会社の食堂を使うとき出入りしやすいように開いている時期があった。
Kは階段を下りて開いているかどうか確かめたかった。K は階段を下りた。なんと、そこはタイル張りの壁で覆われていた。
Kは思い出した。数年前、台風時の豪雨で崖下との境目が土砂崩れして、かなり危険になったので、その出入り口は閉鎖されたのだった。
Kは諦めて階段を戻ろうとすると、既に地下1階へ上がる階段のドアが閉められていた。ついさっきまで開いたのに、とKは焦った。多分見回りの警備員が危ないとドアを閉めなおしたのだろう。
Kがドアを叩いて叫ぶが誰も答えない。何度も、何度もドアを叩き続けるが反応はなかった。Kは一時間以上ドアの前に立ち続けた。
ドアノブを押したり引いたりしたが、びくともしない。そのうちKは疲れ果て、ドアノブから手が滑り落ちそのままコンクリート地に倒れこんだ。
Kはその閉ざされた空間すべてがタイル張りの壁に見えた。Kには四週のタイル壁が押し寄せてくるように感じられた。
Kはそのまま階段を滑り落ちた。
・・・
翌日、Kは警備員に発見されたが、意識がはっきりせず、なぜか「壁が、壁が、俺を、俺を・・・ゲームオーバー・・・」と訳のわからない言葉を発していた。
Kは白目を剥き出し、口からは白い泡を吹いていた。