ショットなストーリー

一枚の写真から浮かぶショートストーリー

事務所の中のジャッカル

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メキシコの守護犬

 ある年の初夏の一日。

 携帯が静かになった。
「ハーイ、何している。退屈でしょうがないよ。どこかに行こうよ」
 いつもの気まぐれなウサギからのメールだった。

 俺は疲れていた。今日は日曜日。昨日は土曜日、にもかかわらず会社に出勤して夜遅くまで働いていた。

 そして今、その残務のため、誰もいない会社の部屋で一人パソコンンに向かっている。午前中に昨日の仕事の報告書の続きを作成しなければならないのだ。
「今日は、午前中、仕事でかり出されて抜け出せないよ」
「なんだ、つまんない。

 久々に天気がいいからどこかドライブでもしようかと思って誘ったんだよ」
「ありがとう。俺も今日は外ではしゃぎたい気分でいた。

 仕事が終わったら、海でも見に行きたい気分だ。

 窓から見える青空がまぶしくてさ。もう、梅雨もあけるだろうな」
「そう、わたしも、この一か月ずっと、雨のち曇りの日ばっかりでしょう。洗濯も満足にできない日が続いてさ。

 朝起きたら、あまりの空の青さにびっくり、日曜日だしどこか行こうと思ってメールしたんだよ」
「OK。仕事を早めに終えて、北部でも行こうよ」
「じゃ、仕事が終わった連絡してね。バイバイ」
「バイバイ」
 俺は、携帯を脇に置いて、パソコンに向かい、猛烈に機関銃を連射するようにキーボードを打っていた。

 報告書は、修正も含めて一時間で仕上がった。

 次の目的があれば、どんなくだらない仕事でも集中して早めに終えることができる。 

 いつもは、時間潰しの仕事モードだが、余計な残業代もつかないサービス業務は早めに終えるに限る。
 窓の外を見ると夏雲がニッコリ笑って俺のつぶやきにうなずいている。

 人間は、あんがい天候に左右されるのだな、と俺は哲学者の深いため息とついた。

 世界の意味がチョットだけ理解できた。
 パソコンをシャットダウンし、部屋の明かりとクーラーを消し、事務所の部屋のカギを閉め、警備の自動装置をセットし、建物の外に出るドアのカギを閉め、さらに、格子のカギを閉めて、俺は会社を後にした。
 車に乗って帰路に着く。
 そういえば、俺がこのセンターに移動して初めての事務所の開閉だ。

 その間俺は、なるべく、誰かが残業しているうちに帰るように意識して帰る時間になると時計ばかり見ていた。

 一人ひとり、順序良く退社するが、必ず、誰か遅くまで残業する社員がいて、その間をうまく、「波乗り稲村ジェーン」のようにサーフィン帰りしていた。
 初めての居残りは仕職場に慣れる訓練になる。

 新しい職場のその事務所への適応は時間がかかる。

 あの席に、あの人が、この席にこの人が、なぜか、それぞれに自信をもって居座っている。それは、自信満々に仕事をこなしているよう見える。

 俺のこの椅子は、以前、誰かが座っていた。引き出しを開けるとその人の気配を感じる。職場の和気藹藹は俺にはふさわしいのか。前任者の魅力的な人物像が作り出した空間に俺は相応しいのか。
 なぜに俺はここにいるのだろう。悩める凡人のため息をつく。
 俺は、三か月間、大自然の息吹にシンクロするジャッカルのように息をひそめて周りをうかがって引き攣った笑いを繰り返してきた。

 耳と、鼻を笑い目の奥に忍ばせて、居場所周辺の音を聞き、匂いを嗅ぎ、五感のフルスロットルで戦場を暗中模索していた。
 今日俺は、この事務所の隅々まで観察し、机の位置を確認し、今まで歩いて行けなかった端っこの場所まで足を延ばし、棚に手を置き、犬がテリトリー内におしっこするように両手でバタバタ指紋をつけた。

 隣の机までの歩数を数え、開けても見たことのない扉を開き、冷蔵庫の中を覗いた。腐った匂いはなかった。
 俺は、満足の笑みを浮かべ三か月間の苦痛が体全体から少しずつ引いていくのを感じた。空腹を感じたので、腐っているかもしてない誰かのロールパンを冷蔵庫から取り出し食べた。まずかったが、食べたということに満足を感じ、気分はよかった。
 今日は、この空間を俺が支配している。そう感じた。明日からは、おびえずに仕事に集中できるだろう。
 車は、クーラー全開の完全冷房で、暑い熱気を車外に輩出し、快適に海岸道路を疾走する。

 半島のハイウェイに侵入した瞬間、時速100キロのスピードで飛ばした。

 俺の高揚感は脳内細胞を刺激し肉体をはみ出し、道路の向こう側まで飛んだ。すると、車も同時にスピンし、空中を飛んだ。

 俺は、胃に痛みを感じ、腔内に臭気を嗅いだ。
 俺の目の前を冷蔵庫のロールパンが飛び散っていた。

 俺は車ごと海に突っ込んでいった。