その先には何にがある
ここはサイハテの島、南端孤島の西の果てにある漂流島。
草木も生えぬ荒れ地に枯れ木が一本立っている。流木が西のかなた太平洋から流れ着いたのだろう。海藻の緑が白い砂地に埋められていく。
空と海が交差する水平線、その先になにがあるのだろうか。
と思いたいが、ここは季節外れのビーチの海岸線。
訪れる人もいなくなった人口ビーチは、夏の賑わいを忘れ、静かな波の音だけが聞こえる簡素な砂地地帯になっている。
人工的につくられた湾岸は美しいカーブを描いているが、人々が訪れなければすぐまた荒々しい海岸線に変わるだろうか。
海の向こうに一艘の船が遊覧している。遠くに航行しているので軽やかに海に漂っているように見えるが、波の高さに上下するように揺れていて、波間に浮かぶ枯葉のようにも見える。
嵐になったらどうなる、と心が揺れる。
忘れ去られた海岸、季節外れのビーチ、朝日が昇る時だけ映える水平線の向こう側には何があったのだろう。
そこには昔、祈りの島・神の島があったと人々は言う。
一匹の蝶がひらひらと太平洋を横断して来た、と書かれた詩があったけ。(※)
「あっつ、チョウチョが枯れ木に止っている」
そんな幻視を生む青のグラデーションに彩色された空に思わず息をのむ。
琉球の首里王府に残された古謡・神歌のおもろそうしに蝶は次のように謡われている。
すゞなりがふなやれの節
一 吾がおなり御神の
守らてゝ おわちやむ
やれ ゑけ
又 妹おなり御神の
又 綾蝶 成りよわちへ
又 寄せ蝶 成りよわちへ (「おもろそうし」第十三)
(歌意)
我々のおなり御神が、守ろうといって来られたのだ。
やれ、ゑけ。おなり御神は、美しい蝶、あやしい蝶に成り給いて、
守ろうといって来られたのだ。
一匹の小さな蝶が大海原を渡って来て、この美しい島を守っている。
※「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」(「春」安西冬衛)