ショットなストーリー

一枚の写真から浮かぶショートストーリー

右が左、左が右・・・

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カーブミラー

 男は車を運転していた。

 T字路の曲がり角にさしかかった。男は前方のカーブミラーを見ながら一時停止した。カーブミラーには前方道路の左側に車はなかった。男はT字路をスローで右折する。対向車はない。

 その時だ、急に左側から高速スピードで一台の車が疾走してきた。男は急ブレーキをかけた。車はギーギッツと音を上げて止まる。左からの対向車はカーブミラーに写らずスッと消えた。

 車は来なかった。男の見間違いだったのだろう。カーブミラーに写った影を車と見間違えたのだ。男はそう判断して、車を再び右折進行した。

 男の運転した車は本通りに出た。男は車を運転しながら、さっきのカーブミラーに写っていた車の影のことを考えていた。確かに、左側から車が来ていた。それが、見間違いだったのは幸いだが、どうも納得できない。

 黒い車の影はスッと消えた。あれほどハッキリとカーブミラーに写った車体が消えるはずはない。

 男は車を運転しながら考えている。頭の中はさっきの出来事に集中しているので、男は今どこを走っているのか気にしていない。

 走っている所はいつもの道路である。走りなれた道であり、迷うことなく目をつぶって運転しても目的地に行けるほどの慣れた道路である。

 道路は光が溢れている。キラキラ鏡に太陽が反射しているようなまぶしいほどの道なりだ。

 男は左右対称の鏡の世界に紛れ込んでいた。さっきの曲がり角で男は左からの車を避けようと、そのままカーブミラーに写った道路に突進して鏡の中の道路を走ってしまったのだ。

 男は反対道路を走っている。いつか気づくだろう。

 ここでは、すべてが左右対象だが、男が鏡を鏡と意識するかぎりそうなのであり、鏡の世界にどっぷりつかると左右に違和はない。たんに、右が左、左が右になっただけの世界に落ち着くだけである。だが、車と人だけはもとのままの意識・形態を保っているので左右対称の世界に生きるのは難しい。

 たとえて言えば、日本車でアメリカの道路を走るようなもの。あるいは、左利きの人間がパチンコ屋でパチンコを打つようなことか。はたまた、鏡に映ったピアノをそのまま鏡の向こう側(現実の側)から弾くようなものだろう。音は、左に高くなっていく、それを弾き続けることは可能か。ジミヘンなら、ギターをひっくり返して左手で弾くだろう。でも鏡の中の世界での生活は苦労するだろう。

 この感想めいた一言は、鏡のこちら側にいる、先ほどのカーブミラーの傍に立って男の車の動向を一部始終観察していた者が発している。

 カーブミラーの傍には、鏡の国の門番がいつも待機している。