ショットなストーリー

一枚の写真から浮かぶショートストーリー

赤バナーのレイに囲まれて

f:id:higeozira4242:20191021225239j:plain

赤いハイビスカス

 そこは三方を壁に囲まれた小さな広場だった。

 その小さな広場は、私が友人・Kを訪れたK市にあった。

 五年前に知り合ったKはこのK市に住んでいるはずだった。

               1 

 東京で知り合ったKは三年前故郷に帰っていった。せっかく知り合って仲良くなったのに残念だ、もし、K市の近くに来るようなことがあれば、ぜひ立ち寄って欲しいとKは心を込めて言ってくれた。

 Kと私は知り合ってすぐ仲良くなった。同じ趣味が起因したのだろうか、話す内容が多岐にわたっていても会話が途切れることはなかった。二人が行ったことのある場所もほとんど一緒で、まるで双子の兄弟のような親しさで接していた。

 私とKは二日を開けず互いの貧しいアパートを訪ねあった。話は尽きず、週末は酒を酌み交わしながら深夜まで話し込むこともあった。

 Kがいなくなってからの私は自分の一部がもぎ取られたかのように抜け殻となって、外に出ることもなく、ひっそり部屋に閉じこもることが多くなっていた。友との楽しい語らいを思い出しては一人酒にふける夜も多かった。

 私は孤独を紛らわすようにひたすら文書を書き続けた。

 その書き溜めた文書が少しずつ読者の目につくようになり、いっぱしの文筆家として一部では知れるようになっていた。それも、ほとんどが、Kと語り合った中に思い付いたアイディアがもとになっており、私自身のオリジナルというにはほど遠いものだった。Kがそれを知れば、あるいは何か批評めいたことも言って作品をけなすかも知れない。それは十分ありうる。Kのアイディアが大分をしめているが、私は文章は自分の文体であると突き放して言える程の自信もなかった。

 また、文章はたいして売れてない雑誌に掲載されており、私のほうから知らせない限りKの目に止まることはないだろう。私はそう割り切ってKに対する罪悪感を薄めることにしていた。できれば、ひとことKの名に触れることも考えたが、すべてにKの名が出るのはこちらの無能さを晒している気がしてそれは控えた。二人で語り合った中で生まれたアイディアだが、書いたのは自分だから作者である私に作品は帰すると強引に納得した。

   その雑誌に掲載された短文が一冊の本になる話がでた。私はこの機会にKを訪ねて雑誌掲載になった短文集が一冊の本になることをKにも知ってもらい、できるならKの心よい承諾を得たいと考えていたのだ。

 Kとは長く文通が途絶えていた。二年前、ちょうど私が突然文書を書く才能が与えられたかのように、集中して短文を何本も書くようになってから音信が途絶えた。何度かKの住むK市の住所へハガキなどを出すのだが、返信はなかった。

 私は忙しさに紛れてKの所在を確認することを怠っていた。

               2

 ひさしぶりにKから連絡があったのは、不思議だが、直接私の携帯のメールに文書が届いたのだった。私はKとメール交換をした覚えもなく、長い音信不通の間に、携帯で話したこともなかったのだから。でも、なぜかKなら私のことは何でも知っているのだろう、と無意識のうちに納得して、Kに近くK市に立ち寄る予定である、その時にまた会おうとの返信メートを送った。

 その後、何度かメールを送るが返信はなかった。Kもなにかと忙しいのだろうと、こちらから一方的に訪ねる日付を指定して、Kの故郷に向かったのだ。

 最初の予定では朝早くの飛行機に乗り、空港からタクシーで直接、K市に行く予定であった。しかし、なぜか、飛行機は遅れ、飛行場でのタクシーがなかなか捕まらず、しかたなく長距離のバスに乗ることになった。

 Kの住むK市は南の島の中央にあり、南に位置するN市の空港からバスだと一時間以上かかった。

  そのバスも道路の混雑がわざわいして、K市に着いたのはもうすぐ陽が落ちかかる午後六時頃だった。それから、地図をたよりにKの家の近くらへんまで歩いて行った。そこからは、近くの人に尋ねればいいだろうと軽く考えていた。

 私は、両側に白亜の丸屋根のアーケードがあり、真ん中に道路を挟んだ商店街を歩いていった。その途中に小さな横道がありそこに入ると、表の商店街にあった建物が途絶え、なんだか鬱蒼とした小さな茂みに入っていった。

 あたりは十分暗くなっていた。

 表の建物が並ぶところとは対照的に、突然緑が生い茂る草花の多い緑地が続いた。そこの一角に周りが赤い花で三方を囲まれた小さな広場があり、その中にぼーっと昔の東京でKの住んでいたアパートに似た建物の一部が浮かび上がって来た。

 私はなにも疑わずに、ああ、Kはこういうアパートが好きだったのか、と昔と同じ入り口に近いところにあるだろうKの部屋のドアを叩いた。私ははじめてであるにも関わらず、Kがそこに住んでいるだろうと確信し迷うことなくドアを叩いたのだった。

 すると、思った通りKが出てきて、昔と変わらない笑顔で私を迎えてくれた。その部屋の中も昔そのままの配置であり、すこし、周辺がぼやけているような感じがしたが、私はあいさつもそこそこに板間に座り、持ってきた五冊の雑誌を広げてKにそれぞれの短文が本に成ることを話し出した。

 Kは喜んでくれた。自分のアイディアが生かされていると文章の構成もほめ、自分だったらこうは書けなかったと賛辞を寄せてくれた。一冊の本になると言うと別に構わない、書いた私の自由であると納得してくれた。Kは文書の一部を熱心に読んで、その文章から思い出したのか、昔の懐かしい話をさも愉快そう語りだした。

 私は安心した。Kが承諾してくれて本当によかった。私はこれからも文章を書き続けようと心に決めた。Kとの話はKの近況にもおよんだが、Kはなぜか話したがらなかった。近くのコンビニで買ってきた泡盛を水で割って、Kの部屋にある小さな縦長の茶飲み茶碗で酌み交わした。

 話は尽きなかった。外はしんとしてたおり、たまに冷たい風がふっと吹き込んでくる。部屋の中なのに壁からはうっすらと赤い花が周りを取り囲んでいるように見える。

 Kは赤いペンを持ち出し、雑誌の文書を何か所か校正してくれた。私はK ならかまわない、Kの才能に畏敬の念を持っていたので、いまでも文書を書くのかとKに聞いた。Kはもうやめたときっぱりとした口調で言った。私は残念そうな顔をするが、Kはすっきりした顔でS(私の名前)が書いていれば十分だ、自分は別にやることがあると言った。K のやることとは何だろう、そう思いながらも私は詳しく聞くことができなかった。

 話はつきることなく続き、夜更けまで話し込んだ。五年の歳月も二人を分かつことはなかったのだ。

               3 

 翌日、私は知らない人に起こされた。そこは、家の中ではなく三方をコンクリートブロックに囲まれた、小さな広場の中だった。なぜ私はここにいるのだろう。Kのアパートの一室にいたはずなのに。そこは砂地に所々草が生え、酌み交わした泡盛の瓶と二つの茶碗が倒れていた。私の旅行カバンが放置され、五冊の雑誌が散らばっていた。雑誌にはところどころ赤ペンで文字が書き込まれていた。

 私を起こしてくれた人は六十台のどこかKの面影を残した白髪頭の老齢の穏やかな人だった。

 その人はやはりKの父親だった。その場所はKの先祖代々のお墓で、Kもこの墓の中にいる。Kは二年前に亡くなって、昨日三回忌をすましたばかりだと言う。

 南の島の墓の敷地はかなり大きく、小さな家ぐらいもありそうだった。周りは赤い花を植えるのが習慣だという。その花は地元では「アカバナー」と呼びハイビスカスの一種で、和名は仏桑華であり、方言では「グソウバナ」とも呼び、あの世の花でもあるとKの父親は説明してくれた。

 二年前に死んだと聞いて、思い当たる節のあった私はぞっとする寒気が背中を走った。すると昨日私を歓待してくれたKは幽霊だったのだ、と私の目からは涙がとどめなく流れていった。

 Kの父親の話によると、Kは東京から帰って来てからは南の島の開発問題に関わってほとんど家に寄りつかなかったという。その運動がなかなか進展せず、あせってさらに運動にのめりこんでいったとのことだった。そのうち、現場の争いで事故がおこり、その事故ががもとで病気になって二年前に死んでしまった。私は、Kからそういう話を聞いたことはなかった。南の島の住民の反対を押し切って巨大企業が巨大建造物を建設するという話は新聞などでは知っていたが、その運動にKが関わっていたという話は初めて聞くことだった。

 私はKの父親に連れられて近くのKの実家に寄った。仏前に手を合わせ私は写真に写るKの日焼けした精悍な顔に驚き、涙が流れるままにうなだれるしかなかった。

 東京に帰った私は、六か月後一冊の本を上梓した。私は出版社にペンネームを使いたい、ふさわしい名前がある、Kの名前をペンネームにと提案した。Kの名前は文筆家の名前らしい風格を備えていて、出版社も納得してくれた。

 これで、私のKに対する罪悪感が少しは解消したとは思わなかったが、K市での私の体験は、必要以上にKにたする気持ちを繊細にした。

 その後、私はKのアイディアになる短文を何篇か書き、また一冊の本にした。

 それ以来、私は短文から長文に挑戦するようになった。私が完全にKのアイディアから自由になって文書を書くことができるようになったのは、その後数年を要した。ペンネームは又もとの本名に戻した。

 しかし、Kの名で出版した二冊の本は今でも著名はKの名前である。

 数年後、私は二冊の本を持って、再び南の島のK市を訪れ、Kの眠る墓前に二冊の本を捧げた。

 墓の周りにはあの真っ赤な花が輪を作るかのように咲き誇っていた。太陽は南の夏にふさわしく熱くじりじり私を照らし続けていた。

 南の島の巨大建造物は相変わらず建設中である。その完成に百年はかかるだろう、と地元の新聞では報じられていた

 Kは今もその建設を阻止しよう、と空の上から大きな声を上げ続けているだろう。島の人々はそれに呼応するだろう。そして、巨大企業は百年を待つことができず建設を諦めるだろう。

 私は真っ青な大空を仰ぎ、赤い花に向かって言った。

 「Kよ百年後にまた会おう」