影の影響
男は影を写した。
影を写して、その形を保存すると光の部分、つまり本物の肉体が滅びないと古書にあった。
自分の影を写し続けると、その影が形を保ったまま肉体の老化を防ぐと言うのだ。
まるで「ドリアン・グレイの肖像」のようだ。
ドリアンの場合は、実際の肉体は老化しないが、絵の中の肖像画が年月にふさわしく老化していく小説である。
影の中の陰画は暗黒であるので老化することはない(いや、老化が影に吸収されて見えない)。
しかし、その代償として何かを要求されるのではないか。
ドリアンは若さを得てその傲慢さで悪に染まったが、老化した肖像画をナイフで切り裂いた後、自分に刃が跳ね返って自死することになる。
さて、影の場合の代償は。
男は影を取り続けるべきか、あるべき老化を引き受けるべきか。
物語としては男に影を取り続けて欲しいだろう。
その結末を見てみたい。
まあ、だいたい悲劇で終わる予感がある。
しかし、実際にその選択を迫られたらどうするだろう。
影を写し続けると若さを保ち続けるのは確実に保障される。
その代償として何を要求されるか分からないのに、人は影を写し続けるだろうか。
男は太陽の下を歩いた。
男の後ろにはいつも影が寄り添っていた。
男が動くたび影も位置を変えながら動いている。
時には、前の方に、時には男の体形にすっぽり影がおさまることもあった。
男が建物の中に入ると影は消え建物に吸収された。
太陽のない夜、くもり空、雨の日は影は出てこない。
夜でも街灯のある場所は影が動き出し、月の夜では影は喜んで男の足取りを追って行く。
たまに、ほかの人の影と混ざり影の形が変わる。
影のために外出し、影のために光を浴びた。
晴れた昼間はなるべく外出し、月の出る夜は散歩し、夜の街灯のある街を歩き回った。
それは影のためではなく、自分の若さを保つためにであったはずだ。
つまり、自分の若さは影の出現頻度にかかわっているのだ。
自分があるから影があるのではなく、自分の若さを保つために自分の自由を放棄して影に仕えているのだろうか。
男は少しづつ影に支配されていった。いや、若さにあこがれ続けた男は影に支配されざる負えなかったのだ。
自分の生き方を放棄し、若さという形に支配さた影に動かされていたのだ。
ある夏の暑い日、男は太陽の熱さに負け倒れた。
一週間ほど日に当たらず眠り続けた。
男は久しぶりに外に出てみた。
すると、どうだろう。少し、影が薄くなっている気がした。
男は影の重みを感じることなく、自由に歩いている自分を発見した。
それから男は影を写すのを辞めた。
男は若さを意識することなく自分のために歩き出したのだった。