ショットなストーリー

一枚の写真から浮かぶショートストーリー

青空のディスタンス

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鉄塔コンビ

 

 ちょっと太めのR鉄塔と、細めのA鉄塔が二つ並んでいる。

 向こうの山が小さく見えるほどの威風堂々の鉄塔コンピ。

 「雨にも負けず、風にも負けず、(雪にも)夏の暑さにも負けぬ」丈夫な鉄骨を持ち、鉄塔は街中の家に電気を送っている。

 R「俺たちチョット働きすぎじゃない」

 A「まあ、そう言うなよ。俺たちが休むとみんなが困るんだよ」

 R「それにしても24時間、365日立ちっぱなしの働きづくめはキツイね」

 A「それは仕方がないよ。人々が安心して生活ができるように俺たちが、頑張っているわけよ」

 R「でも、最近、腰に痛みが走るようになってね。たまには、横になりたいよ」

 A「そうだね。横になっても電気が送れたら楽だね。俺、足が細いからバランスたもつのに苦労するよ」

 R「夜になったらみんなが眠るように、俺たちも真夜中は暇だから横になってもいいかもしれない」

 A「そう、どうせ俺たちが横になっても気づかないさ。電線をチョット延ばしてくれたら助かるね」

 R「まあ、そうだね。送電の量を減らしてくれたら、少し居眠りしても大丈夫かもしれない」

 A「真夜中の漏電も減るかもしれないよ」

 R「そうだな。夜の火災は怖いからね。気づかないうちに一気に燃え広がるから危険だよ」

 A「それに、台風の時には立ちっぱなしは大変だよ」

 R「そうだね。千葉の台風で俺たちの仲間が二基倒れたからな。風の強い日は、横になっていいいという工夫がが欲しいね」

 A「まあ、人間は俺たちのことを風景の一部だと思って、あまり気にしていないかも知れない」

 R「そう、この写真のようにインスタ映えするからね」

 A「台風の時の停電や近くにくると音がうるさいとか、自分たちが不便になった時だけ気づくぐらいだね」

   R「まあ、いいじゃない。誰にも気づかれない時が一番安心な時だということだよ」

 A「そうだね。静かに、静かに風景に溶け込もう」

 R「そうしよう」

 秋空の中、二基の大きな鉄塔が、小さな声でおしゃべりしていた。

 

 

 

 

 

 

  

 

比蛇川の謎

 

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比謝川大橋下の比謝川

 K市の中心を流れK動物園の中にある溜め池に起源をもち、K町に下り、東シナ海に流れる、長さ3キロメートルの比謝川は、梅雨時の雨に充分に水分と養分を与えられ、生い茂る雑草・雑木は密林のように川の岸辺を覆っている。

 川は、灰色の粘土が川底にたまって淀んでいる。

 どんな魚が生息しているのやら。テレピアは確実に潜んでいるだろう。カメも川の中央の岩に天気のいい日に日向ぼっこしているのを見かける。

 深さはそれ程ないが、泥で濁っている分底なし沼のようにも見える。
 個人で飼育していたニシキヘビが、比謝川の岸辺の密林に逃げたという噂がたって、数年がたつが、蛇の行方は杳として知れない。
 その頃から比謝川は「比蛇川」として揶揄され、誰も近づかない秘境となっていた。
 一人の男が何を考えたのかH橋から釣り糸を垂れて魚釣りと洒落こんだ。

 遠くからぼんやりと釣り人を見ていた別の男がいた。

 釣り人が釣り糸を垂らした瞬間、大きな大蛇が口を広げ川底から飛びあがって釣り糸を垂らしていた男を丸呑みして、すばやく川底にもぐりこんだという。

 ポチャンと音がして、川は大きな渦を巻いていた。欄干には男の被っていた帽子と、釣り竿以外の釣り道具が残っていたそうだ。

 それを聞いた人々は、話がホラすぎて誰も信じなかった。
 近くの、TというK市役所・観光課に勤めている中年の男がその日の昼から戻らないとの家族からの届け出があったので、遠くから見ていたSという男のホラ話を警察は捜索情報の一つとして取り上げた。
 比謝川の川底さらいの大捜索だとK署の署長の命令が下り、力のある男たちが一斉に駆り出された。

 以前から、大蛇の噂話を知っている地元の人々はへっぴり腰で川に足をつけるだけで、本格的に川の中に入ろうとはしない。

 淀んだ水の底に不気味に光るものが、大蛇の目に見えて誰も本気で泥を浚いだそうとはしなかった。

 警察にしても、相手が人間であれば市民の手前、日ごろの勇敢な警察官の態度で頑張れるが、なにせ獰猛な大蛇が相手だと「これは、動物園の仕事だ、博物館の役割だ」と恐れも加わって捜索に力が入らぬ。

「そのうち見つかるさ」と気長にやる気なのかやる気がないのか、捜索は一日かかったが何の成果も上がらず打ち切りとなった。
「人間を飲み込むほどの大蛇が、比謝川にいるはずがない」

 R大学の動物行動学者、町田五太郎の発言に警察も重きをおいて、証言者の勘ちがいだ、と単なる男の家出であると判断した。

 警察は事件にせず比謝川捜索を終えた。
 

 三年が過ぎた。
 相変わらず、ジャングル状態の比謝川周辺は、そこに川があるのかも判別出来ないほどになっていた。H橋があるから、かろうじて川があるのだろうと推測される程の密林地帯となっていた。
 ある雨風の強い、台風を予感させる天候の悪い日であった。強風が、密林の中まで吹きすさび、一瞬、竜巻状の突風が密林の上空に舞い上がった。

 その時、大きなカーテンのような、垂れ幕のような大きな布が空に翻った。翻ったかと思ったが、風の勢いが緩んだとたん布はH橋の中央にふわりと舞い降りた。
 それは、古びた大蛇型の鯉のぼりだった。鯉のぼりのような形をして、大蛇の顔と長い胴体と尻尾が描かれていた。人間が一人入る程の大きさの筒状の大蛇のぼりだった。
 大蛇の頭が描かれた口の部分に釣り糸がからまっていた。もちろん、人は入っていない。橋の上でパタパタと大蛇がうねるように翻っている。
 翌日、強風もおさまって、T橋を通りかかったのが、例の「釣り人丸飲み事件」の発見者Sだった。Sは、すぐにピンと来て大蛇のぼりを警察に届ける事をせず、自分の家に持ち帰って家の裏の倉庫に隠した。
 SはTの家に向かった。

 Tの家はあれから、大蛇にのまれた男の家として観光名所となり、大蛇にのまれる瞬間の男の銅像が記念碑として立てられるほど、市内一番の名所・旧跡ともなっていた。

 周りには、「大蛇餅」、「大蛇饅頭」、「大蛇ラーメン」等、銅像に似せた「大蛇キーホルダー」を売っている店が立ち並び、多くの観光客で賑わっていた。

 Tの家は「T商店」として、一番繁盛しているお土産品店に様変わりしていた。ニコニコ顔のTの妻が女将として店を取り仕切っている。
 Sは、店に入って行った。

 ポケットから、小さな「大蛇のぼり」を出して店に並んでいるキーホルダーの横に置いた。それを見た女将は、にわかに引きつった顔をしてSにくってかかった。

「お客さん、勝手に物を置かないで下さい」
「勝手物じゃないよ。新しい、お土産品だよ。」Sはポケットから似たような「大蛇のぼり」を取り出して店頭に並べた。

 女将は、Sが置いた御守りみたいな布袋を凝視し、一瞬にして理解した。女将のひきつり顔は苦笑いに変わった。商売人らしく手揉みしてSを迎えた。
 小さな「大蛇のぼり」は新たな、お土産品として500円の値札が付けられた。
 

 数年後…。
 店の横には大きな大蛇のぼりが青空にうねるように旗めいている。橋の下の川はK市の新たな名所・観光地として「比蛇川秘境地帯」との名を得ている。
 読者はここに来て、はたっと行方不明のTの事が気になって落ち着かないだろう。筆者も落ち着かない。どうしたものだろう。Tの消失ぶりは堂(ドウ)に入ったものだと思っている。シャレメッキではない。本銅(ホンドウ)である。
 付け加えてさらに二年が過ぎた。Tは死亡者として女将より役所に届けが出された。翌日、店の名前は「S商店」と看板が取り換えられた。

 新婚ほやほやの二人は、毎日幸せそうに、男の銅像(ドウゾウ)を磨いていた。

 

                         

ピンクの城門

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遊び場

 

 公園の階段は赤、ピンク、緑のセメント丸椅子が並び、ピンク色の壁門が段々じょうに延びている。

 一匹のサルがピョンと壁門からセメント丸椅子へ飛び跳ねて、空に飛んでいった。

 空にはたくさんのサルが浮かんでいる。

 足をバタバタさせ、手を水平に広げ、立ち泳ぎのように浮び踊っている。

 サルの群れの飛行ダンス。

 サルの一匹がピンクの壁門をスーッと低飛行して潜り抜け、地上に降りたった。

 ネコがビックリひっくり返り、犬はクンクン鼻をのばして自分の尻尾を追う。

 鳩は羽をパタパタ、目玉をグルグル(声もグルッツグル)させ、チョウチョはいつものようにヒラヒラ、優雅に知らんぷり。

 公園で遊ぶこどもがサルの後を追う。

 こどもに捕まるようじゃ烏帽子の猿回しザル。そんなサルじゃごザルまい、地上から木へ、木から空へと三段飛行はまるでクモ糸なしのスパイダーマン

 いや、スパイダーモンキーはマスクいらずの空中フライモンキー。

 動物園からサルが逃げ出して30年。

 人間のエサだまし捕獲作戦にも屈せず、地上から木へと飛び移り、途中の手足の動きを工夫して、空気抵抗をうまくコントロールし空へと飛びあがった。

 ピンクの城門、サルスベリ飛行台。

 サルに三本毛が生えず、手足に飛膜が生え、100m飛行ができるまでになった。

 サルから跳びザルへの大進化だ。

 丘の上の木のある公園は跳びザル最適環境居住地。

 ここはサル山公園王国。

 

 

 

 

 

 

大人も出ずに居られない街(ディズニーランド)

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ネオン輝く街



 清三の耳が聞こえなくなったのには訳がある。

 清三が、三歳の時である。

 母親が添い寝をしていながら居眠りをした。そのあまりにも大きないびきに清三は耳をふさぐしかなかった。耳をふさいでも母親の大きないびきは清三の脳の中にまで響く程であった。
 清三は神様に祈った。
 「神様、僕の耳を音が聞こえないようにしてください。

 ママの大きないびきが聞こえないようしてください。」
 清三は、いつも母親から神様の話を聞いていたので、神様の大きな力を信じてお祈りした。

 するとどうだろう。大きないびきは小さな呼吸音に変わり、清三の耳にも子守歌として静かに聞こえ安らかに眠ることが出来た。
 次の日から清三の耳は聞こえなくなった。

 母親は驚き、原因を知らずうろたえた。

 街じゅうの耳鼻科に清三を連れていって調べてもらったが聴覚的な原因はないとのことであり、何か精神的なものが原因ではないかと医者は診断した。

 母親はそれではと街じゅうの精神科医を訪ねた。

 医者は答えていう。
「器官的な原因でもなく精神的なものでもない。なにか、不思議なことが原因ではないかと思われます」と訳のわからないことを繰り返すだけである。
 母親は、悩んだ。こんな街では自分の息子は救えない。

 母親は清三の父親、つまりは夫と別居し世界的に有名な霊能力者がいるKシティに移り住んだ。そこは、世界中から悩める人々が救いを求めて集まって来る場所であり、K教祖を一目でも見よう、霊力を浴びようとの人々で大きなシティを形成していた。

 Kシティは鉄骨地帯にあり、K教祖が数名の信者をつれて小さな屑鉄街にコミュニティを作ったのが三年前である。

 K教祖の偉大な力は世界中に知れ渡った。

 K教祖が頭に手をかざしただけでて十年も臥していた老婆が立ちあがり、生まれながら目の見えない少女の目が見えるようになった。

 三年前に死んだ、愛する夫が蘇えった。

 死産した胎児が母親の横に幼子として蘇っていた。

 歩けない人が歩けるようになった。耳が聞こえた。目が見えるようになった。死者が蘇った。十五年も痛風に悩む男はビールが飲めるようになった、等など。
 Kシティからは多くの奇跡が報告されていた。

 世界中から巡礼者、悩める者、障害を持つ者が移住して来る。

 さらに、多額の寄付金が送られていた。

 清三の母親はKシティに移り住んだが、K教祖に会う事は出来なかった。何万人もの人々の面会を受ける教祖に会うには数年待たねばならないのだ。
 母親は三年待った。「御面会」のお札は回って来なかった。あと、三年待ちだとの「お通知」が来た。

 母親はあきらめて、清三の好きであったデイズニーランドの近くに家を借りた。
 母親は毎日清三と一緒にデイズニーランドに行った。

 ミッキーが好きな清三はいつも楽しそうにしていたが、耳が聞こえる事はなかった。 

 夜になると、母親は相も変わらず清三を傍において寝ているのであった。
 ミッキーもティッピーも好きだったが、清三の耳にははしゃぎ声もお客さんの楽しい声も聞こえなかった。清三は楽しかったが、清三の耳が治ることはなかったので母親は日々苦悩した。

 そのうち、デイズニーランドに通い続けるのを辞めた。
母親はまたしても引っ越しを考えた。その頃はもう夫もあきれ返って離婚の手続きをしていた。

 清三は母親との二人家族になっていた。
 次に移り住んだのは母親が大好きな大都会であった。夜は、いつもネオンが輝き人々が溢れかえっていて大人も出ずに居られない街(でずにイラレナイらんど)である。
 母親は楽しみたかった。

 この、十年間いつも清三のそばで涙ぐましい母親を演じてきた。少し疲れていたのである。夜に、そっと抜け出して清三の眠っている間に一人で楽しみたかったのである。
 夜になるとそっと出ていく母親に清三は気づいていた。しかし、清三は母親が傍にいない方が安心して眠れるのだと思った。

 信心深い清三は神様に祈った。
「神様、もう僕は一人でも眠れるので耳が聞こえても大丈夫です。耳が聞こえるようにしてください。」
 清三は十五歳になっていた。
 翌日から母親は帰って来なかった。

 母親の大好きな大都会は、喧騒と怒涛につつまれ夜中も騒音で溢れていた。
 清三は大きな音が聞こえても一人で静かに眠ることが出来た。
 清三は夢を見た。

 ママが踊りながら大きな声で子守唄を歌っていた。それは、なつかしい、大きないびき音にも聞こえた。

三通の手紙が来た

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郵便ポスト

 三通の手紙が来た。

 一通は石川県から、二通目は山梨県から、三通目は福島県からだった。

 一日おきの消印だった。送り手は石川県から山梨県、そして福島県と移動しながらこの手紙を送っている。

 一通目の手紙は「6月24日は晴れるだろう」と書いてある。

 二通目の手紙は「6月24日は豪雨だ」との予想だった。

 三通目の手紙は何も書いてなかった。「?」の文字が書かれているだけだった。

 すべての手紙が同じ人物の書いたものであるのは宛名の筆跡で分かった。その意味するものは理解できなかった。いたずらで手紙を送ってきたのか。

 宛先の住人Sは考えた。

 三通の手紙が間違って送られたのではない。書いた人の意思によって送られたのだ。その動機は不明だが何かの意図を持って送ってきたのは確かだ。

 6月24日の日付に意味がある。その日の天候に関りがある。「晴れ」で「豪雨」という二律背反の状況を創り出している。さらに、それに謎マーク「?」を添えている。全体的には謎である。

 まず、すべてが謎であることからはじめよう。

 石川県からは「6月24日は晴れ」で、山梨県からは「6月24日は豪雨」で、福島県からは「?」が示された。それぞれ送り手の場所の状況を示していると解釈してみよう。

 「石川県は、6月24日は晴れるだろう」し「山梨県は、6月24日は豪雨だ」となり「福島県は?」とのことだが、前文二通は文意は成り立つが、三通目の福島県はそれ自体が「謎」であり意味不明である。全体をまとめるものがなく謎に包まれる。

 今度は、送られたSの地域の天候状況に関しての予想だとすると、石川県から「Sの地域は6月24日は晴れるだろう」となり、山梨県から「Sの地域は6月24日は豪雨だ」となり、福島県だけはあい変わらず「謎」で終わってしまう。

 前文二通はそれぞれに送り手の天気予想として成り立つが、福島県の「謎」は分からない。

 次は、逆に福島県からの「?」を先に解明して、それから石川県、山梨県に続けるべきだろう。「?」とは謎、疑問符の記号、問いかけ、クエスチョン(ナゾ)になる。「福島県の謎」あるいは「Sの謎」あるいは「Sの地域の謎」あるいは「謎それ自体」。それらのどれかが天候にかかわる事があるのだろう。少し関連があるのは「Sの地域の謎」ぐらいだ。「(Sの地域は)6月24日は晴れるだろう(し)、豪雨で謎(に満ちてる)」ということになる。

 もう少し、分かりやすい文書にしてみると、「Sの地域は6月24日は(朝は)晴れるだろう、(夜には)豪雨になり、謎(の現象がおこる)」という文章が成り立つ。

 直接的な文書にすると「Sの地域は6月24日晴れるだろう、豪雨になり謎が発生する」つまり「Sの地域は6月24日、晴れて豪雨になり謎が起こる」というわけである。

 Sは斎藤という。斎藤さんの住むところは高知県である。

 高知県の有名な何かが関わっているのだ。斎藤さんは長らく考え込んだ。斎藤さんの住む高知県はUFOのよく出る地域として有名である。過去にこんな事件があった。

 高知県高知市の介良地区に手に抱えるくらいの円盤型の造形物を複数の中学生が発見した。その円盤は叩いても傷つかず、水を入れると途方もなく吸収し、ひもで縛って保管しても、発見した元の所に戻ってしまう奇妙な行動を繰り返していた。そのうち突然消え去ったという。

 作家の遠藤周作は後にこの事件を取材している。
  
高知県はその後も多数のUFOの目撃談が残されているという。

 手紙はUFO研究家からのメッセージだった。

 6月24日は天候が異変してUFOが出現するとの情報である。

 手紙を送ったそれぞれの地域はUFOが良く出ると評判の名所のある県である。

 石川県の羽咋には「UFO博物館(コスモアイル羽咋)」があり、福島県貫山には「UFOふれあい館」がある。山梨県は有名なUFO事件(甲府事件)があった。

 甲府市の小学生二人が、ブドウ畑に降り立ったUFOと、乗っているチョコレート色のしわしわの宇宙人と出会っている。飛び立つ飛行物体は大人も目撃している。作家の影山民夫も飛行物体を見たと証言している。

 6月24日はUFOの日だ。1947年、アメリカ・ワシントン州の山脈に9機の円盤状の飛行物体が目撃されている。それが地元の新聞社に取り上げられ、「flying Saucer(空飛ぶ円盤)」と呼ぶようになった。具体的な未確認飛行物体(UFO)の初出である。

 三通の手紙は6月24日はUFOの日であり、空の異変に注意しろとのメッセージだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

右が左、左が右・・・

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カーブミラー

 男は車を運転していた。

 T字路の曲がり角にさしかかった。男は前方のカーブミラーを見ながら一時停止した。カーブミラーには前方道路の左側に車はなかった。男はT字路をスローで右折する。対向車はない。

 その時だ、急に左側から高速スピードで一台の車が疾走してきた。男は急ブレーキをかけた。車はギーギッツと音を上げて止まる。左からの対向車はカーブミラーに写らずスッと消えた。

 車は来なかった。男の見間違いだったのだろう。カーブミラーに写った影を車と見間違えたのだ。男はそう判断して、車を再び右折進行した。

 男の運転した車は本通りに出た。男は車を運転しながら、さっきのカーブミラーに写っていた車の影のことを考えていた。確かに、左側から車が来ていた。それが、見間違いだったのは幸いだが、どうも納得できない。

 黒い車の影はスッと消えた。あれほどハッキリとカーブミラーに写った車体が消えるはずはない。

 男は車を運転しながら考えている。頭の中はさっきの出来事に集中しているので、男は今どこを走っているのか気にしていない。

 走っている所はいつもの道路である。走りなれた道であり、迷うことなく目をつぶって運転しても目的地に行けるほどの慣れた道路である。

 道路は光が溢れている。キラキラ鏡に太陽が反射しているようなまぶしいほどの道なりだ。

 男は左右対称の鏡の世界に紛れ込んでいた。さっきの曲がり角で男は左からの車を避けようと、そのままカーブミラーに写った道路に突進して鏡の中の道路を走ってしまったのだ。

 男は反対道路を走っている。いつか気づくだろう。

 ここでは、すべてが左右対象だが、男が鏡を鏡と意識するかぎりそうなのであり、鏡の世界にどっぷりつかると左右に違和はない。たんに、右が左、左が右になっただけの世界に落ち着くだけである。だが、車と人だけはもとのままの意識・形態を保っているので左右対称の世界に生きるのは難しい。

 たとえて言えば、日本車でアメリカの道路を走るようなもの。あるいは、左利きの人間がパチンコ屋でパチンコを打つようなことか。はたまた、鏡に映ったピアノをそのまま鏡の向こう側(現実の側)から弾くようなものだろう。音は、左に高くなっていく、それを弾き続けることは可能か。ジミヘンなら、ギターをひっくり返して左手で弾くだろう。でも鏡の中の世界での生活は苦労するだろう。

 この感想めいた一言は、鏡のこちら側にいる、先ほどのカーブミラーの傍に立って男の車の動向を一部始終観察していた者が発している。

 カーブミラーの傍には、鏡の国の門番がいつも待機している。

 

 

赤バナーのレイに囲まれて

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赤いハイビスカス

 そこは三方を壁に囲まれた小さな広場だった。

 その小さな広場は、私が友人・Kを訪れたK市にあった。

 五年前に知り合ったKはこのK市に住んでいるはずだった。

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 東京で知り合ったKは三年前故郷に帰っていった。せっかく知り合って仲良くなったのに残念だ、もし、K市の近くに来るようなことがあれば、ぜひ立ち寄って欲しいとKは心を込めて言ってくれた。

 Kと私は知り合ってすぐ仲良くなった。同じ趣味が起因したのだろうか、話す内容が多岐にわたっていても会話が途切れることはなかった。二人が行ったことのある場所もほとんど一緒で、まるで双子の兄弟のような親しさで接していた。

 私とKは二日を開けず互いの貧しいアパートを訪ねあった。話は尽きず、週末は酒を酌み交わしながら深夜まで話し込むこともあった。

 Kがいなくなってからの私は自分の一部がもぎ取られたかのように抜け殻となって、外に出ることもなく、ひっそり部屋に閉じこもることが多くなっていた。友との楽しい語らいを思い出しては一人酒にふける夜も多かった。

 私は孤独を紛らわすようにひたすら文書を書き続けた。

 その書き溜めた文書が少しずつ読者の目につくようになり、いっぱしの文筆家として一部では知れるようになっていた。それも、ほとんどが、Kと語り合った中に思い付いたアイディアがもとになっており、私自身のオリジナルというにはほど遠いものだった。Kがそれを知れば、あるいは何か批評めいたことも言って作品をけなすかも知れない。それは十分ありうる。Kのアイディアが大分をしめているが、私は文章は自分の文体であると突き放して言える程の自信もなかった。

 また、文章はたいして売れてない雑誌に掲載されており、私のほうから知らせない限りKの目に止まることはないだろう。私はそう割り切ってKに対する罪悪感を薄めることにしていた。できれば、ひとことKの名に触れることも考えたが、すべてにKの名が出るのはこちらの無能さを晒している気がしてそれは控えた。二人で語り合った中で生まれたアイディアだが、書いたのは自分だから作者である私に作品は帰すると強引に納得した。

   その雑誌に掲載された短文が一冊の本になる話がでた。私はこの機会にKを訪ねて雑誌掲載になった短文集が一冊の本になることをKにも知ってもらい、できるならKの心よい承諾を得たいと考えていたのだ。

 Kとは長く文通が途絶えていた。二年前、ちょうど私が突然文書を書く才能が与えられたかのように、集中して短文を何本も書くようになってから音信が途絶えた。何度かKの住むK市の住所へハガキなどを出すのだが、返信はなかった。

 私は忙しさに紛れてKの所在を確認することを怠っていた。

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 ひさしぶりにKから連絡があったのは、不思議だが、直接私の携帯のメールに文書が届いたのだった。私はKとメール交換をした覚えもなく、長い音信不通の間に、携帯で話したこともなかったのだから。でも、なぜかKなら私のことは何でも知っているのだろう、と無意識のうちに納得して、Kに近くK市に立ち寄る予定である、その時にまた会おうとの返信メートを送った。

 その後、何度かメールを送るが返信はなかった。Kもなにかと忙しいのだろうと、こちらから一方的に訪ねる日付を指定して、Kの故郷に向かったのだ。

 最初の予定では朝早くの飛行機に乗り、空港からタクシーで直接、K市に行く予定であった。しかし、なぜか、飛行機は遅れ、飛行場でのタクシーがなかなか捕まらず、しかたなく長距離のバスに乗ることになった。

 Kの住むK市は南の島の中央にあり、南に位置するN市の空港からバスだと一時間以上かかった。

  そのバスも道路の混雑がわざわいして、K市に着いたのはもうすぐ陽が落ちかかる午後六時頃だった。それから、地図をたよりにKの家の近くらへんまで歩いて行った。そこからは、近くの人に尋ねればいいだろうと軽く考えていた。

 私は、両側に白亜の丸屋根のアーケードがあり、真ん中に道路を挟んだ商店街を歩いていった。その途中に小さな横道がありそこに入ると、表の商店街にあった建物が途絶え、なんだか鬱蒼とした小さな茂みに入っていった。

 あたりは十分暗くなっていた。

 表の建物が並ぶところとは対照的に、突然緑が生い茂る草花の多い緑地が続いた。そこの一角に周りが赤い花で三方を囲まれた小さな広場があり、その中にぼーっと昔の東京でKの住んでいたアパートに似た建物の一部が浮かび上がって来た。

 私はなにも疑わずに、ああ、Kはこういうアパートが好きだったのか、と昔と同じ入り口に近いところにあるだろうKの部屋のドアを叩いた。私ははじめてであるにも関わらず、Kがそこに住んでいるだろうと確信し迷うことなくドアを叩いたのだった。

 すると、思った通りKが出てきて、昔と変わらない笑顔で私を迎えてくれた。その部屋の中も昔そのままの配置であり、すこし、周辺がぼやけているような感じがしたが、私はあいさつもそこそこに板間に座り、持ってきた五冊の雑誌を広げてKにそれぞれの短文が本に成ることを話し出した。

 Kは喜んでくれた。自分のアイディアが生かされていると文章の構成もほめ、自分だったらこうは書けなかったと賛辞を寄せてくれた。一冊の本になると言うと別に構わない、書いた私の自由であると納得してくれた。Kは文書の一部を熱心に読んで、その文章から思い出したのか、昔の懐かしい話をさも愉快そう語りだした。

 私は安心した。Kが承諾してくれて本当によかった。私はこれからも文章を書き続けようと心に決めた。Kとの話はKの近況にもおよんだが、Kはなぜか話したがらなかった。近くのコンビニで買ってきた泡盛を水で割って、Kの部屋にある小さな縦長の茶飲み茶碗で酌み交わした。

 話は尽きなかった。外はしんとしてたおり、たまに冷たい風がふっと吹き込んでくる。部屋の中なのに壁からはうっすらと赤い花が周りを取り囲んでいるように見える。

 Kは赤いペンを持ち出し、雑誌の文書を何か所か校正してくれた。私はK ならかまわない、Kの才能に畏敬の念を持っていたので、いまでも文書を書くのかとKに聞いた。Kはもうやめたときっぱりとした口調で言った。私は残念そうな顔をするが、Kはすっきりした顔でS(私の名前)が書いていれば十分だ、自分は別にやることがあると言った。K のやることとは何だろう、そう思いながらも私は詳しく聞くことができなかった。

 話はつきることなく続き、夜更けまで話し込んだ。五年の歳月も二人を分かつことはなかったのだ。

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 翌日、私は知らない人に起こされた。そこは、家の中ではなく三方をコンクリートブロックに囲まれた、小さな広場の中だった。なぜ私はここにいるのだろう。Kのアパートの一室にいたはずなのに。そこは砂地に所々草が生え、酌み交わした泡盛の瓶と二つの茶碗が倒れていた。私の旅行カバンが放置され、五冊の雑誌が散らばっていた。雑誌にはところどころ赤ペンで文字が書き込まれていた。

 私を起こしてくれた人は六十台のどこかKの面影を残した白髪頭の老齢の穏やかな人だった。

 その人はやはりKの父親だった。その場所はKの先祖代々のお墓で、Kもこの墓の中にいる。Kは二年前に亡くなって、昨日三回忌をすましたばかりだと言う。

 南の島の墓の敷地はかなり大きく、小さな家ぐらいもありそうだった。周りは赤い花を植えるのが習慣だという。その花は地元では「アカバナー」と呼びハイビスカスの一種で、和名は仏桑華であり、方言では「グソウバナ」とも呼び、あの世の花でもあるとKの父親は説明してくれた。

 二年前に死んだと聞いて、思い当たる節のあった私はぞっとする寒気が背中を走った。すると昨日私を歓待してくれたKは幽霊だったのだ、と私の目からは涙がとどめなく流れていった。

 Kの父親の話によると、Kは東京から帰って来てからは南の島の開発問題に関わってほとんど家に寄りつかなかったという。その運動がなかなか進展せず、あせってさらに運動にのめりこんでいったとのことだった。そのうち、現場の争いで事故がおこり、その事故ががもとで病気になって二年前に死んでしまった。私は、Kからそういう話を聞いたことはなかった。南の島の住民の反対を押し切って巨大企業が巨大建造物を建設するという話は新聞などでは知っていたが、その運動にKが関わっていたという話は初めて聞くことだった。

 私はKの父親に連れられて近くのKの実家に寄った。仏前に手を合わせ私は写真に写るKの日焼けした精悍な顔に驚き、涙が流れるままにうなだれるしかなかった。

 東京に帰った私は、六か月後一冊の本を上梓した。私は出版社にペンネームを使いたい、ふさわしい名前がある、Kの名前をペンネームにと提案した。Kの名前は文筆家の名前らしい風格を備えていて、出版社も納得してくれた。

 これで、私のKに対する罪悪感が少しは解消したとは思わなかったが、K市での私の体験は、必要以上にKにたする気持ちを繊細にした。

 その後、私はKのアイディアになる短文を何篇か書き、また一冊の本にした。

 それ以来、私は短文から長文に挑戦するようになった。私が完全にKのアイディアから自由になって文書を書くことができるようになったのは、その後数年を要した。ペンネームは又もとの本名に戻した。

 しかし、Kの名で出版した二冊の本は今でも著名はKの名前である。

 数年後、私は二冊の本を持って、再び南の島のK市を訪れ、Kの眠る墓前に二冊の本を捧げた。

 墓の周りにはあの真っ赤な花が輪を作るかのように咲き誇っていた。太陽は南の夏にふさわしく熱くじりじり私を照らし続けていた。

 南の島の巨大建造物は相変わらず建設中である。その完成に百年はかかるだろう、と地元の新聞では報じられていた

 Kは今もその建設を阻止しよう、と空の上から大きな声を上げ続けているだろう。島の人々はそれに呼応するだろう。そして、巨大企業は百年を待つことができず建設を諦めるだろう。

 私は真っ青な大空を仰ぎ、赤い花に向かって言った。

 「Kよ百年後にまた会おう」

 

 

 

 

ワイワイガヤガヤ

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グレムリングッズ

  男はゲームセンターに足を運んだ。

 何年ぶりのゲームセンターだろう。

 昔のゲームセンターとは様子が違う。

 小さな子供づれの家族や子供たちが多い。

 なんだか健全な場所になっているようだ。

 男は一つのゲーム機に目を止めた。

 昔映画で見た宇宙怪獣のようなぬいぐるみがタクサン置かれている。それをどうするのだろう。

 上の方にクレーン機のようなものが吊り下げられている。

 もしかしたら、そのクレーンでぬいぐるみを釣り上げて空いている空間に落とせば、前の出口から出てくる仕組みなのか。

 ボタンを押してクレーンを動かし、クレーンの先っぽ(アーム)でぬいぐるみを挟んで穴に落とせばいいのだろう。

 男はそう理解した。

 男は隣の少年のゲーム機操作を観察した。

 なかなか取れない。取れそうで取れない。

 何度も失敗している。

 男はなんとなくクレーンゲーム機の動かし方を理解した。

 男は100円を入れた。

 ボタンを押した。おそるおそるクレーン機を動かす。

   まず、ボタンを押してクレーンを横に移動する。次のボタンで目当てのぬいぐるみの頭上にクレーンを移動する。

 すぐに取れそうなぬいぐるみのところで止めた。

 クレーンが自然に下りる。

 クレーンのアームがぬいぐるみを捕らえた。

 クレーンが自動に上がっていく。ぬいぐるみが少しあがった。

 あっつ、ぬいぐるみがあがったと思った瞬間、ぬいぐるみはスポッとクレーンのアームから落ちた。

 も少しだった、と男は思った。

 もう一度試みる。100円を入れる。

 今度はクレーンが全然違う所に止まり、ひっかかりもしない。

 100円を入れる。

 クレーンはぬいぐるみをかすりもしない。

 男は少しイライラしてきた。

 子どもだましの機械にこんなに熱くなるなんて、男は冷静さを取り戻そうと深呼吸した。

 さらに、100円を入れる。

 クレーンが動く。なかなかいい場所に止めることができた。

 男は少し間を置いて、次の動作に移った。

 クレーンが下がり、アームがぬいぐるみを挟んだ。

 クレーンが上がる。男はクレーンを少しずづ穴に近づける。男の手は震えそうなほど力が入った。

 ポトンと穴にわずか少しの所でぬいぐるみが落ちた。

「残念!」と隣の少年が大きな声で叫んだ。

「あっっつ、チクショウ!」男もつられて大声を出した。

 男はなんだか急に恥ずかしくなって、恥ずかしさをゴマ化すため大げさにゲーム機を叩いた。

 軽くゲーム機を叩いたつもりだったが、ゲーム機が大きな音を立てたので、男と少年は顔を見合わせ、お互いびっくりした表情を見せた。

 男はさらに熱くなってしまった。少年の手前上なんとしてもぬいぐるみを取るぞと再度挑戦した。

 100円を入れる。

 今度は思う所に止まり、クレーンのアームも調子よさそうにぬいぐるみをつかむ。持ち上げ、穴の方へと移動する。ポトンと穴に落ち、前の出口からぬいぐるみが出てきた。

「やった!」快感!

 男は嬉しくなって、そのぬいぐるみを少年にあげた。

 少年は喜び「ありがとう」と礼を言い帰っていった。

 男はさらに気分が良くなってきた。

 これは、なかなか愉快だ。もう一度やってみよう。

 いまのコツでやればうまくいくのだろう。男はこのゲーム機の仕掛けをよく知らない。

 男は気持ちよく100円を入れる。

 アームがぬいぐるみをかすった。

 100円を入れる。

 クレーンが全然違う所で止まった。

 100円を入れる。

 アームがぬいぐるみを持ち上げたと思った瞬間すぐに落とす。

 100円を入れる。男は必至である。

 ・・・

 全然取れない。男はなんだか自分が情けなくなっている。

 思わずゲーム機を足蹴りした。

 ゲーム機がうっつと唸った。なんだかゲーム機が喋ったようで、男はビクッとした。

 男は気を取りなおし、これが最後の挑戦だと、100円を入れる。

 クレーンがぬいぐるみの上でピタッと止まった。クレーンが下りてアームがぬいぐるみを挟み、そのままスムーズに穴に落ちた。

「よっしゃ!」男は小さな声で歓声をあげる。

 男はぬいぐるみを肩掛けカバンに入れ、再度挑戦する。

 今度は、軽くぬいぐるみが取れた。

 次もぬいぐるみは楽々アームにおさままる。3個目だ。

 なんだか怖いくらいだ、カツオの一本釣りみたいにどんどん釣り上げていく。

 自分にはクーンゲームの隠れた才能があったのだと、男はうれしくなってきた。

 でも、そろそろやめよう。ぬいぐるみを持って帰るのも大変だ。

 今度こそ最後にしよう。男はそう決めた。

 男は最後の100円を入れてぬいぐるみをゲットした。

 さあ、これで終わりだ。

 男は帰り支度をした。

 クレーン機が勝手に動き出した。アームがぬいぐるみをつかんで穴に落とした。

 おかしいな、間違ってお金をいれたのかな。男はそう思った。

 またしても、クレーンが動いてぬいぐるみを穴に落とす。

 男は焦った。これ以上、ぬいぐるみは持てないし、なんか機械を壊したのではと心配になって、店員さんを呼ぼうとするが周りには誰もいない。

 クレーンは勝手に動き、ぬいぐるみを落としていく。

 男は恐怖にかられ、ゲーム機から離れることができない。

 数えきれないほどのぬいぐるみが足元を埋めていく。

 男の膝が埋まり、胸が埋まり、首までぬいぐるみで埋まってしまった。ぬいぐるみはワイワイガヤガヤ、なにやら変な奇声を発して飛び跳ねている。

 男は両手をあげて叫んだ。「たすけてくれー!」

 すると、頭上から強大なクレーン機がアームをおろし、男をつかんで持ち上げた。男は巨大ゲーム機の中に閉じ込められていた。男は足をバタバタさせアームから逃げよとするが、眼下の大きな穴に投げこまれた。

 男は「あっつ!」と叫ぶ。男の体は巨大な滑り台をすべり外に飛び出していった。

 外に出たと思った瞬間、男はハット目が覚めた。

 男はクレーンゲーム機の前で立ち寝していたのだった。

 前日の徹夜の仕事のせいだろう。男は眠たい目をこすった。

 あたりを見回したが、そこはいつものゲームセンターの風景で、男の手には汗まみれな100円玉が1枚握られていた。

 財布の中にあった五千円札はいつのまにかなくなっていた。

 男が獲得したはずのぬいぐるみは、どこにもなかった。

 男は不思議に思って、ゲーム機の中を覗いた。

 すると、小さな人間が両手をあげ大きく口を開けているのを一瞬見たような気がした。

 よく見ると、それは男によく似たぬいぐるみ人形だった。

 男はぞっとして凍りつき、腰は砕けゲーム機の前でブルブル震えていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

影の影響

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影を写す

  男は影を写した。

 影を写して、その形を保存すると光の部分、つまり本物の肉体が滅びないと古書にあった。

 自分の影を写し続けると、その影が形を保ったまま肉体の老化を防ぐと言うのだ。

 まるで「ドリアン・グレイの肖像」のようだ。

 ドリアンの場合は、実際の肉体は老化しないが、絵の中の肖像画が年月にふさわしく老化していく小説である。

 影の中の陰画は暗黒であるので老化することはない(いや、老化が影に吸収されて見えない)。

 しかし、その代償として何かを要求されるのではないか。

 ドリアンは若さを得てその傲慢さで悪に染まったが、老化した肖像画をナイフで切り裂いた後、自分に刃が跳ね返って自死することになる。

 さて、影の場合の代償は。

 男は影を取り続けるべきか、あるべき老化を引き受けるべきか。

 物語としては男に影を取り続けて欲しいだろう。

 その結末を見てみたい。

 まあ、だいたい悲劇で終わる予感がある。

 しかし、実際にその選択を迫られたらどうするだろう。

 影を写し続けると若さを保ち続けるのは確実に保障される。

 その代償として何を要求されるか分からないのに、人は影を写し続けるだろうか。

 

 男は太陽の下を歩いた。

 男の後ろにはいつも影が寄り添っていた。

 男が動くたび影も位置を変えながら動いている。

 時には、前の方に、時には男の体形にすっぽり影がおさまることもあった。

 男が建物の中に入ると影は消え建物に吸収された。

 太陽のない夜、くもり空、雨の日は影は出てこない。

 夜でも街灯のある場所は影が動き出し、月の夜では影は喜んで男の足取りを追って行く。

 たまに、ほかの人の影と混ざり影の形が変わる。

 影のために外出し、影のために光を浴びた。

 晴れた昼間はなるべく外出し、月の出る夜は散歩し、夜の街灯のある街を歩き回った。

 それは影のためではなく、自分の若さを保つためにであったはずだ。

 つまり、自分の若さは影の出現頻度にかかわっているのだ。

 自分があるから影があるのではなく、自分の若さを保つために自分の自由を放棄して影に仕えているのだろうか。

 男は少しづつ影に支配されていった。いや、若さにあこがれ続けた男は影に支配されざる負えなかったのだ。

 自分の生き方を放棄し、若さという形に支配さた影に動かされていたのだ。

 ある夏の暑い日、男は太陽の熱さに負け倒れた。

 一週間ほど日に当たらず眠り続けた。

 男は久しぶりに外に出てみた。

 すると、どうだろう。少し、影が薄くなっている気がした。

 男は影の重みを感じることなく、自由に歩いている自分を発見した。

 それから男は影を写すのを辞めた。

 男は若さを意識することなく自分のために歩き出したのだった。

 

 

 

 

 

 

架空座談

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三頭会談

  A  おう、ひさしぶり。

 B そうだね。何年ぶりかな?

 C もう、3年はなるよ。

 A もう、そんなになるのか。

 C だいたい、そうだね。

 B でも、ひさしぶりに会ってもお互いあまり変わらないね。

 A いつもここで会って、この椅子にすわって喋っていたな。

 B まあ、ここが一番安心するからね。

 C というより、俺たちあまり金がないから、いつも手持ちの飲み物食い物を持って、この席を指定席にしているんだからね。

 A まあ、そういわず、指定席なのだから、特別だと思って座ればかなりいけるんじゃない。

 B つつと言うか。誰も座らない指定席は特別仕立てだよ。

 C まあ、価値あるものと思えば何でも特別だから、指定したほうが得だよ。

 A 言えてる。

 B 俺たちも、なかなか会えないのに、たまに会うのは相当に大物気分でいいんじゃない。

 C そうだよ。特別だよ。俺たち三人が集まるのは、三年ぶりで、アメリカとロシアと中国の首脳陣レベルの会談並みだと思う。

 A じゃ、話の内容も相当に高度な地球レベルの核戦争について話そうよ。

 C なんか、大きくでたね。

 A いつも、なんとなく考えていたからね。

 B そうだね。最近は北朝鮮の核保有問題が大きいからね。

 A 北朝鮮が、核をもったことによってアメリカと対等に話ができるようになったのは相当に現代的な国際問題だよ。

 B 対等に話し合いをしているのか、おもちゃの兵隊をつれて、おまけに核弾道ミサイルを飛ばすぞと、威嚇しながらの対話だから、なんだか似たもの同士の「ロケットマン」の仲良しごっこに見えるな。

 C そうは言っても、実際に(核)兵器を飛ばす実力は確実に進歩しているから危険ではあるよ。

 A 不思議だよ。

 C 北朝鮮という小さな国が大国アメリカと対等な対話(漫談)ができるという関係が現代的だと思うよ。

 A お互い世界のメディアを意識してのパフォーマンスだから、情報戦によって地球が小さくなったことの証左でもあるね。

 C 核爆弾という最終兵器を武器にして外交を展開することも居直り強盗的外交(瀬戸際外交とも言うそうだ)で現代的だよ。

 A でもアメリカだって日本に対しては核兵器をバックに砲艦外交をくりかえしていることは明白だから、似た者同士だよ。

 B でも今世界で保有されている核爆弾は、地球を何千回も破壊するほどの威力をもっているという事実は、人類は相当に変わった動物であることが証明されているね。

 C そう、核兵器の問題は人類の内面(細胞核)の問題だと思うよ。

 B ガン細胞は自己を根拠にしながらでも自己を無限に破壊し続けるという矛盾の中にある。人類が発明した核爆弾も地球という故郷を無限破壊するという夢を見ているのかもしれない。

 A 俺たち人類もそろろ最終段階に来ているのかもしれない。

 B そうだよ。人類のいないすっきりした風景が椅子三脚で決まりかもしれない。

 C 椅子三脚に人はなし、か?

 

 ボンと小さな音が遠くから聞こえる。

 頭上に雲のような地球の縁のようなもがおいかぶさる。

 ・・・

 ・・・

 ・・・

 ・・・・ 

  地球のない宇宙空間に巨大なスクリーンが映し出される。

 次のテロップが銀河のように流れる。

   20XX X月X日

 ここにはかつて地球という惑星があった。

 その痕跡をキネンしてここに記す。 

   (現在の核爆弾の総威力でも地球を破壊し尽くす事はできないようです。でも・・・)

             「参 照
              世界の核兵器保有数ランキング2018
              (順位/国名/核兵器保有数)
               1位 ロシア   6,850
               2位 アメリカ  6,450
               3位 フランス  300
               4位 中国    280
               5位 イギリス  215
               6位 パキスタン 140-150
               7位 インド   130-140
               8位 イスラエル 80
               9位 北朝鮮   10-20
               〔合計〕     14,465  」
               (「世界のランキング」より) 
 

 

 

台風よどこへ

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台風一過

    台風が過ぎ去った。

  雲が動いた。

  小さく雲がちぎれた。

  でも、今はなだらかに空にただよっている。

  酔っているのではない、と思う。

  強風に追い付けなかったので、雲は少しだけ戸惑って空をさまよっているのだろう。

  

 秋を呼びたかったから、暑さにおびえる者を少しだけ涼やかにしたかったのだ。

と、台風は言いたいのかもしれない。

 でも、雲さえもおきざりにしてどうする。

と、地上の者は言いたい。

 でも、世界は、地上の都合だけではできていない。

と、台風は言うだろう。

 でも、少しは地上のことも気にして欲しい。

 と、僕は言いたいけど・・・

 何も言えない。

・・・

・・・

・・・ 

  そんなことを雲に托して言いたっかたけど。

 

 僕には、台風の怒りを少しだけ感じることができる。

   それが、どこに向かうのかは僕も知らない。

 

 

   ♪♪~世界が君の小さな肩に 乗っているのが

     僕にだけは見えて 泣き出しそうでいると

    「大丈夫?」ってさぁ 君が気付いてさ 聞くから

    「大丈夫だよ」って 僕は慌てて言うけど

     なんでそんなことを 言うんだよ  

     崩れそうなのは 君なのに

    ~

     取るに足らない 小さな僕の 有り余る今の

     大きな夢は 君の「大丈夫」になりたい

    「大丈夫」になりたい 

     君を大丈夫にしたいんじゃない

     君にとっての 「大丈夫」になりたい~♪♪

         (『天気の子』挿入歌「大丈夫」RADWIMPS )

 

 僕はこの壮大な歌の歌詞「君」を「台風」に置き換えて考えてみた。

 台風よどこへ行く。

 僕は、台風にとっての「大丈夫」になりたいと願った。

 すると突然、突風が吹き、僕の体は中空を舞って、地球の外に出た。

 台風が小さく渦を巻いて地表を旋回しているのが見える。

 台風は一生けん命に地上の水分と温度を調整しているのだった。

 

マンホール地下の謎

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消火栓のマンホール

 

 ドイツでの「ネズミ救出作戦」をご存じだろうか。

 ドイツのとある町で、ネズミの鳴き声(うめき声)が聞こえた。そこを通りかかった小さな女の子が気づいた。太ったネズミがマンホールの穴に挟まて動けなくなって、「助けて!」と叫んでいると言うのだ。

 女の子はネズミが可哀そうになって、家族に助けて欲しいと頼んだ。家族は、ネズミを助ける手立てを知らず、動物愛護団体に連絡した。

 動物愛護団体の職員は実際に助ける道具を持っていないので、近くの消防隊に救助を依頼した。依頼された消防隊員は7人がかりで、マンホールの蓋をあけ、太りすぎて穴に挟まったお尻を押し上げ、無事救出に成功した。

 冬を越すために太ったネズミは、元気よく、マンホールから自分の住処に帰って行ったそうだ。

 害獣であるネズミを救出したことには賛否両論はあるが、救助を依頼したかわいらしい女の子から小さな表彰状をもらった消防隊員は言った。

「まあ、どんな嫌われ者でも命の尊厳はある。僕たちは命を助ける仕事だからね」

 

 僕は、イッソプ物語の「ネズミの恩返し」の話を思い出した。

  

 ある日、気持ちよく眠っているライオンの上にねずみが駆けあがった。
眠りを邪魔されたライオンが起き上がってねずみを捕まえた。すると、ねずみは「助けてください。きっといつかこのご恩はお返しします」と言った。
 ライオンは、体の小さなねずみに恩を返してもらうことなどないと思ったが、ネコ科の気まぐれでねずみを開放した。
 ねずみは何度もお礼を言い、その場から離れて行った。

それからしばらく経った頃、ライオンは人間の仕掛けた網に捕らえられてしまった。
 ライオンが叫び声をあげると、あのねずみに似た小さなねずみがやって来た。

 仕掛けられた網を噛み切り、ライオンを助けた。
 小さなねずみに助けられることはないと思っていたライオンは心を入れ替えて、それからは小さな動物と助けあったのだった。(一部改変)

 

 そして、ここに前出の「ネズミ救出作戦」の後日談がある。

 世界のどこかの町で起こった事件である。

 真夜中、とある町の住宅が密集している住宅街である。誰かが消し忘れた煙草の吸殻の火が捨てられた紙に燃え移った。風が吹いて燃えた紙が飛んだ。密集する住宅街の一軒家に飛び火したのだ。最初は小さなちり箱を燃やしたが、火が強くなって家に燃え移った。少しずつ火は大きくなっていった。

 家の人は熟睡しているらしい。家が燃えているのに気づかない。

 すると、そこで飼われている小さなライオンが大声を上げた。それでも家人は起きてこない。鎖につながれた子どもライオンはうなり声を上げ続けた。

 すると外の方、地下のマンホールの中が騒がしくなってきた。

 なんと、何十、何百匹のネズミがマンホールの蓋を押し上げ、近くから長いホースを持ち出し、マンホールの中の給水口にホースを繋ぎ、ホースを家の前まで持ち上げ、放水を始めた。

 一匹、一匹と百匹近くのネズミがホースを持ち上げ、壁伝いに火に水をかけたのだ。水の勢いは弱かったが、火の気が十分家に燃え移ってなかっので、火を消し止めることができた。

 その後、ネズミ群は急いでホースを外し、給水口を閉じて、マンホールの中に入っていった。何事もなかったかのようにマンホールは閉じられた。

 子ライオンの叫びに目を覚ました家人は、外のちり箱の焼け跡と家の一部が焦げているのを発見したが、水で消し止められたあとがあるが、誰が消したのか分からなかった。

 水の出所を調べてみると消火用のマンホールにたどり着いた。

 家人は消防隊に連絡して、調べてもらったが、良くわからなかった。

 マンホールの周辺はおびただしい水と、ホースが置かれていた。

 消防隊員のひとりがドイツの「ネズミ救出作戦」を思い出した。

「もしかすると、ネズミの恩返しかもですね」

 すると、子ライオンが大きなあくびをしてうなずいたのだった。

 

 そんな事件があってもいいなと思った。

 

 

 

羽咋のUFO博物館

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宇宙博物館グッズ

 

 数年前、僕は石川県の能登半島に行った。

 金沢市の旅行のついでに、近くに有名なUFOの町があるとの情報を得て、訪れた。

 そこは羽咋(ハクイ)市である。

 駅から歩いて15分、ビックリした(仰天も含めよう)。

 なんと博物館(コスモアイル羽咋)の前に本物のロケットが展示されていたのだ。

 アメリカで実際に打ち上げた 「レッドストーンロケット」(26.6m)が展示されていたのである。

 博物館の形はまさにUFO型であった。

 

 その昔、羽咋には奇妙なことが書かれた古文書があった。

 古文書によると「そうはちぼん」と呼ばれる謎の飛行物体が頻繁に目撃されていたというのである。
「そうはちぼん」とは、日蓮宗で使われるシンバルのような仏具で、その形はまるで鍋のフタのようである。

 つまり、「そうはちぼん」とは鍋蓋型(アダムスキー型)のUFOのことではないか?

 それから、市民による「町おこし」が始まった。

 UFOの町で売り出すためあらゆる模索を繰り返し(UFOウドンしかり)とうとう国際宇宙シンポジウムを開催するまでになった。

 そこから、さらに話は大きくなって、アメリカの「NASA」やロシア(旧ソ連邦)をも巻き込んで実際の宇宙飛行船やロケット、月の探査機など本物を手に入れることができたのである。

 新しく博物館(コスモアイル羽咋)を建設し、上記の宇宙船などを展示したのである。

 展示物の一覧を示す。

 レッドストーンロケット(アメリカ)   
 月面車(アメリカ)
 マーキュリー宇宙船(アメリカ) 
 ヴォストーク宇宙カプセル(旧ソビエト) 
 ルナ・マーズローバー(アメリカ)
 RL-10ロケットエンジンアメリカ)
 モルニア通信衛星(旧ソビエト) 
 アポロ司令船(アメリカ)
 ボイジャー惑星探査機(アメリカ)
 ゴールデンレコード(アメリカ)
 アポロ船外活動用宇宙服(アメリカ)
 船内宇宙服(アメリカ)
 アポロ月面着陸船(アメリカ)
 月の土(アメリカ)
 ルナ月面探査機24号(旧ソビエト
 フレデフォートクレーターの隕石
 バイキング火星探査機(アメリカ)
 LE-5Aエンジン燃焼器(日本)
 ロズウェル事件の宇宙人

 

 最後の「ロズウェル事件の宇宙人」について書いてみたい。 

 1947年、米国ニューメキシコ州ロズウェルから120キロほど離れたJ・B・フォスター牧場に、円盤型の飛行物体が墜落した。

 同年7月8日の地元紙に「ロズウェル地域の牧場で空飛ぶ円盤を回収」という見出しの記事が掲載された。

 それは、全米のみならず全世界でも話題になった。

 墜落した飛行物体はロズウェル陸軍よって徹底的に回収された。

 しかしながら、墜落場所が牧場であったため多くの目撃者が集まり、数々の目撃談が残された。

 また、米軍は7月8日のプレスリリースで、墜落物体を「空飛ぶ円盤」と発表したが、後に「気象観測用気球」であると訂正した。

 「UFOではなく気象観測器」ということで世間の注目は一気にさめた。この事件はこれで終了したかにみえた。

 しかしながら、数々のUFO研究家や陰謀論者は米政府の隠蔽工作ではないかと疑っていた。

 それから30年後。

 当時の軍人であったマグルーダー中佐は、ロズウェル事件から随分と時が経過し自分が死を迎える間際、4人の息子たちにあの時のことを語っている。

 当時、彼は基地で生きている宇宙人を見せられたという。 

 その生き物は身長120cm以下で、人間のように見えたが人間ではなかった。

 腕が長くて目は大きく、頭は特別の大きさで頭に毛はなかったと言う。

 顔には鼻と耳に相当する突起はなく、口のような裂け目と2つの穴があった。

 それが別の惑星から来た宇宙人であることは間違いないと息子たちに語った。

 別の目撃談によると、遺体は身長120㎝くらい、手の平は4本の指で親指がなく足が細く、電球型の頭部、肌の色は灰色だった。

 目は大きなアーモンド形で鼻は鼻腔しかなかったという。

 その後さらに、いろいろな目撃談が出現し、UFOと宇宙人について書かれた本やドキュメンタリーが数多く出版・放映された。

 僕たちの宇宙人に対するイメージはこういう経過をだとって形作られのだ。

 UFOは存在するのか。

 宇宙人はいるのか。

 謎に満ちたUFO・宇宙人談議は尽きることなく面白い。

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コスモアイル羽咋

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アポロ月面着陸船

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モルニア通信衛星

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ロズウェル事件の宇宙人

 最近「アド・アストラ」という宇宙飛行士(ブラッド・ピット)を主人公にした映画を見た。

 30年前に地球外知的生命体の探索に宇宙の果て海王星にて消息を絶った科学者である父を探しに、宇宙飛行士は月、火星、海王星と長い宇宙の旅を続ける。

 はたして、地球外知的生命体つまり宇宙人はいたのか。

 宇宙飛行士は父に出会えたのか。

 SF映画の最高傑作である。

 宇宙空間に広がる孤独な呼吸音が静かに聞こえる。

 


 

赤と黒の表示プレート

 

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トイレはあちら

 男はビルの屋上のビアガーデンで生ビールを飲んだいた。

 いまだ日の強い夏の話(九月だからもう初秋?)である。

 太陽のまぶしい夕方の五時ごろから飲み始めたのが祟ったのだ。陽の下のアルコールは酔いが廻るのが早い。

 飲み放題コース、セルフサービスの生ビールは何杯でも飲めた。飲み放題にセルフサービスとは「悪魔の誘い」である。

 まるで自分の家にいるように、保冷庫から勝手に冷えたジョッキ杯を出して、自分で生ビールを注ぐのだから遠慮はいらない。

 男は貧乏性で、もとを取ろうと心が向いているから、なるべくたくさん飲もうと張り切った。

 酔ったらたくさん飲めないから損だと、酔っている自分をごまかして、酔ってないふりをしてビールをがぶ飲みする。

 一杯目、二杯目、三杯目、四杯目と、これで半分は越したぞ。男はつまみを食べるのもそこそにビールを飲み続ける。

 五杯目、六杯目、よっしや、もう一杯でもとが取れて損は無し。

七杯目、これで上々ご破算で願いましては〇(ゼロ)。

 ここで、天使がささやく。

「N(のん兵衛)さん、もう十分ですよ。あたなは大変酔っていて今天国にいる気分でしょう。天国にいる今が一番幸せですよ」

 そのささやきにNは顔を向けた。

 すると、その赤い天使の影が動き出した。

 影は黒く(悪魔)大きな両肩をとんがらせて、囁いた。

「いや、Nさん、これからが儲けですよ。もう七杯飲んだから只になって、これから一杯ずつ飲んだら大儲けですよ」

 悪魔の計算式=(飲み放題=生ビール七杯)-生ビール七杯=〇

       〇+一杯=一杯儲け、+二杯=二杯儲け・・・と。

 男は酔った頭で計算した。

   そして、男は何杯飲んだか分からなくなるほど、さらに生ビールを飲み続けた。

 赤い天使は「もうよしなさいと」と小言を言う。

 黒い悪魔は「まだまだですよ」と誘惑する。

 男の斜め横の黄色に縁どられた表示プレートの中の絵が赤・黒とバタバタ飛び舞っている。

 そのうち男は下腹部に腹騒ぎを感じて、思い出したように表示プレートの矢印の方向に歩き出した。

 一階下にそれはあった。しかし、そこは立ち並ぶ人でいっぱいだった。

 男はもう一階階段を下りた。そこにも人々が並んでいた。

 男は下腹部の腹騒ぎに、喉の吐き気も覚えてきた。男は我慢できず、萎える足取りで小走りした。

 近くのエレベータに乗って最下階までのボタンを押し続けたが、体全体がぶるぶる震えだし、なんだか、汗のような変な生ぬるい水分が全身に染みわたっていった。

 男は、別府温泉の「極楽トイレ」ならぬ、「トイレ地獄」へ向けてまっしぐらに下降してゆくのであった。

 

 

ちいさい秋 みつけた

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小さな紅葉

 葉っぱが三枚(+R)赤く染まっていた。

 街の街路樹にちさい秋を見つけた。

 子どものころ聞いた(歌った)童謡を思い出す。

 

       だれかさんが だれかさんが
  だれかさんが みつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋 みつけた
   めかくし鬼さん 手のなる方へ
   すましたお耳に かすかにしみた
   よんでる口笛 もずの声

           (「ちいさい秋見つけた」サトウハチロー

 

 そういえば、子どものころは誰でもよく鬼ごっこをしたっけ。

 「誰かさん」は独りぼっちで、遠く離れた場所から鬼ごっこで遊ぶ子供たちの声を聴いている。

 自分も鬼ごっこに加わりたいのだが、ひとりで家の中にいるのだろう。

 部屋の中で耳をすますと、鬼ごっこをしている子どもたちの口笛が秋を呼ぶモズの声にも聞こえる。誰かさん(少年)を呼んでいるのだろうか。

 

二番は次のようの続く。

 

  お部屋は北向き くもりのガラス

  うつろな目の色 とかしたミルク

  わずかなすきから 秋の風

 

    少年は北向きの部屋で病気で寝込んでいる。

 くもりガラスにうつる、熱でうつろになった自分の目を見ている。それは、昔お母さんが作ってくれたミルクの色を思い出す。

 わずかなすきま風にも秋を感じる。  

 

 三番もある。

 
   むかしのむかしの 風見の鳥の
   ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
   はぜの葉あかくて 入日色
 

 体の弱い少年は、昔むかし一度だけお母さんに連れられて行った教会がある。

 その教会の風見鶏のとさかに赤いはぜの葉がからんでいた。そこに背後から入日がさして、ますますさびしい秋の気配を呼び起こした。

 しかし、少年はいま、寝床の中で西日に浮かぶ教会でお母さんと一緒にいて、風見鶏と同じように、お母さんの周りではしゃいでいる夢をみている。

 

 

 ・・・と僕が物語を作ったのではない。

 詩の作者サトウハチローの原体験が変形された詩物語である。

 

 サトウハチローの父は、作家の佐藤紅緑。母は佐藤はる。この両親の長男として、1903年明治36年)5月23日、東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)に生まれる。

 中学に入学後、父が舞台女優の三笠万里子と同棲するようになり両親は離婚、父への反発から中学を落第、退校、勘当、留置場入りを重ねる。

 感化院のあった小笠原諸島の父島で父の弟子であった詩人の福士幸次郎と生活を共にし、影響を受ける。

 1919年(大正8年)福士の紹介により西條八十に弟子入りして童謡を作り始め、数々の雑誌や読売新聞などに掲載される。

 母親への想いなどをうたった叙情的な作風で知られ、2万にもおよぶ詩のうち3千が母に関する詩である。

 作風に反して私生活は放蕩、奇行が多く、その振る舞いに関しては佐藤愛子(異母妹)の長編小説『血脈』に詳しい。

 なお、『血脈』によると、ハチローは小学生時代から不良少年で、実母に対しても愛情らしきものを示したことはなく、作品に表現されている「母親への想い」はフィクションだという。    (ウィキペディアより)

 

 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた 
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
 めかくし鬼さん 手のなる方へ
 すましたお耳に かすかにしみた
 よんでる口笛 もずの声
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

 

 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
 お部屋は北向き くもりのガラス
 うつろな目の色 とかしたミルク
 わずかなすきから 秋の風
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

 

 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
 むかしの むかしの 風見の鳥の
 ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
 はぜの葉あかくて 入日色
 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

   (「ちいさい秋みつけた」作詞・サトウハチロー 作曲・中田喜直) 

 

 心に染み入るメロディーは詩のフィクション性を普遍的なものにする。